講に下附された本尊裏書
昨日から この付近の「ご消息」に伴って巡回しているご本尊の裏書です 別院昇格の頃のものですね
昨日から この付近の「ご消息」に伴って巡回しているご本尊の裏書です 別院昇格の頃のものですね
現在修復中の別院本堂裏に、ひっそりと建っている石碑があります。 富山大火、富山大空襲を経て、碑文の半分は損壊して読めません。それでも、明治維新の際に富山藩で廃仏毀釈があったこと、明治13年にここに説教所が建てられ、17 …
「真宗史料集成 第12巻」 森龍吉「解題」より抜粋 「教団の近代化」はまず体制と組織の近代化からはじまった。その問題意識は廃仏毀釈の受難をいかに押し返し克服するかという過程に胚胎する。仏教の主体性を回復するためにはさき …
天保9年(1838)誕生 天保13年(1842)石川舜台生まれる 嘉永2年(1849 11歳)得度 嘉永3年(1850 12歳)京都で漢学と書を学び 後に大阪で広瀬旭荘の門に入る。 安政3年(1856 18歳)本誓寺住職 …
明治五年一月、嶋地は、連枝沢融とともに外遊に出発した。財政の不如意と文明開化への無理解から、宗内には外遊反対の声が強かったが、この時期に両本願寺ともに新時代への対応を急いで外遊が断行され、欧米先進国の宗教事情と近代的な …
天保9年(1838)~大正15年(1926)(89)。大谷派、加賀本誓寺(松任市)の僧。号:厳護法城、法名:白華院厳護。明治5年(1872)教部省出仕、同年現如の宗教事情視察に随行して石川舜台、成島柳北らと西欧を歴訪し、 …
すでに述べたように、神仏分離政策以下の排仏的な気運のなかでも、東西本願寺派に代表される真宗の教勢は、必ずしも衰退に向かっていたのではなかった。成立直後の新政府は、財政的に両本願寺に依存するところが大きかったし、両本願寺 …
第四に、廃仏毀釈は、その内容からいえば、民衆の宗教生活を葬儀と祖霊祭祀にほぼ一元化し、それを総括するものとしての産土社と国家的諸大社の信仰をその上に置き、それ以外の宗教的諸次元を乱暴に圧殺しようとするものだった。ところ …
吉田郁子 大黒や その昔は、別院でごまんさんがあると夜明かししたそうです。ですから、うち(大黒そばや)の番頭さんは、戦後になってからもごまんさんになると夜明かしするといわれたもんですが、もうその頃は夜明かしするようなこ …
越中は真宗王国であり、真宗寺院が多く、富山町の形成にも宗教が大きく影響していた。明治三年に合寺令・廃仏毀釈という仏教弾圧があったが、とりわけ富山では激しく、古寺町(現・梅沢町)などでは多数の寺院が破壊され、仏像・仏具も …