別院碑文解読(尾田武雄氏)
別院の綺麗な写真、拝見しました。碑文を読みましたので参考にしてください
富山市東本願寺 碑銘解読
(碑文)
被
而教法
□□□□□年庚午歳富山藩布合寺旨教
□□免有泰否一令悉使寺院毀大政維新
之圀是廃藩置縣之變徙其間信徒復振起
振起果由明後年明治十有三年紀闢城内
總曲輪址春三月望之經始建設本願寺云
□誰作記者白華子誰立石者桃塚氏
明治十七年甲申四月相賀( )( )( )華
釋厳護撰并書
(左側面)明治十八年□□□ 首誘 桃塚 平□
取持周旋 婦負 橋□□□
藤□□□
その他の残欠
①「江萬
史教法
□ □□□
□ □明治
□ 」
②「□□立山
□ □□無
□ □□必
□ □此王」
③「更有神通木洵美難
日朝」
(読み)
□(維)□(時)明治三年庚午(カノエノウシ)歳富山藩布合寺旨教
□□免泰(タイ)否(ヒ)有リ一令悉ク寺院ヲシテ毀(コボ)タシム、大維新
ノ国是、廃藩置県ノ変徙(ヘンシ)、其ノ間信徒複ヒ振起(シンキ)ス。
振起果(ハテ)テ、明後年明治十有三年ヨリ城内
総曲輪址ニ紀闢(キシャク)シテ、春三月望之ヲ建設ヲ経(ケイ)始(シ)ス。本願寺ト云フ、
□誰(コレ)ヲ作記者ハ白華子、誰ノ立石者ハ桃塚氏ナリ。
明治十七年甲申四月相賀(松)(本)(白)華
釋厳護撰并書
(左側面)明治十八年□□□ 首誘 桃塚 平□
取持周旋 婦負 橋□□□
藤□□□
(解釈)
明治三年に富山藩の合寺の旨の布れにより、教
(不明)動揺させられた。一令で悉(ことごと)く寺院を毀(こわ)した。大政維新
の国是、廃藩置県の移り変わり、その間信徒が再び奮い立ち。
奮い立った後、明後年の明治十三年より富山城内の
総曲輪址に開き始めた。春三月十五日に建設を進める。これを本願寺と云う。
此れの文章は白華子、此れの立石は桃塚氏なり。
明治十七年甲申四月 相賀松本白華
釋厳護撰并書
(左側面)明治十八年□□□ 首誘 桃塚 平□
取持周旋 婦負 橋□□□
藤□□□
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