合寺合併寺院数の確定

「日本海地域史研究」第12号所収 栗三直隆「富山藩合寺事件 合併寺院数の変遷」より
A,東派(大谷派、東本願寺)
本寺三九か寺、寺中(塔頭)二八から九か寺、計六七~八か寺で史料はほぼ一致している。他に合寺直前に廃寺となった本寺一か寺、寺中一か寺を加えれば六九から七〇か寺となる。
B,西派(本願寺派、西本願寺)
本寺を一一八又は一二〇か寺、寺中ヲ五六又は六二(内、坊主名四)か寺と一致しない。本寺については二か寺が含まれていない可能性があり、さらに廃寺一か寺を加えると一二一から一二三か寺となる。寺中には寺号のない坊主名の道場や農民身分の道場主なども含まれるはずで、実数を把握するのは極めてむつかしい。仮に六二か寺としても、なお若干の増を見るべきであろう。従って西派本寺は一二一~一二三か寺、寺中は六二か寺以上、計一八三~一八五か寺余りとなる。これは近代の数字である寺院数にかなり接近した数で、異動や増減はあるにしても、これを下回る事は考えにくい。
 以上、A、Bを合計すると二五二~二五五(本寺一六一~一六三、寺中九一~九二)以上となる。
浄土真宗、日蓮宗、真言宗、修験道、天台宗、時宗、浄土宗、臨済宗、曹洞宗、明治三年(1870)閏10月、富山藩領の推定される寺院数は368~376余り、合寺合併寺院数は358~360。

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