高山大会趣旨文(流星案)

(高山教区スタッフが起草 流星が手を入れたもの)
開催にあたっての課題確認
1 国のあやまった政策
ハンセン病を患った人をすべて療養所へ隔離・収用することを定めた法律、「癩予防ニ関スル件」が制定されたのは1907年でした。その後、この法律は「らい予防法」と名前を変え、戦後、強制力を強め、1996年まで執行されました。
1998年、九州の療養所入所者13名が「らい予防法違憲国家賠償請求訴訟」に立ち上がりました。勇気ある原告たちの証言により、療養所の中で行われていた断種・堕胎、患者作業、家族、故郷からの断絶などの数々の人権侵害が白日の下に晒され、2001年に判決が出ました。それは、法律の違憲性を認める画期的なものでした。私たちは、ハンセン病を患った人たちとその家族を苦しめ続けた法律を、90年にわたって放置してきたという事実を目の前に突きつけられました。
2 大谷派におけるハンセン病問題への取り組み
大谷派僧侶たちは隔離の中に生きることを余儀なくされている人たちに同情し、宗教的安慰を与えようと積極的に活動しました。療養所に残る同朋会誌に「私のようなハンセン病患者でも、ここで生かさせていただいている」といったニュアンスの表現を見ることができます。心静かに暮らす境地になることが真宗の信心であると、園内で受け止められていたことがわかります。
信仰の力によって、多くの人々が療養所の中で地獄のような社会を生き抜いていくことができたという事実はあります。しかし、それは「誰が私をこのような状況に追いやったのか」という視点をぼかしてしまいました。慰安教化は、国家の暴力に抗議し、「人間を帰せ」と糾弾する眼を奪うという結果をもたらしました。
大谷派はこの歴史を踏まえ、「らい予防法」廃止を契機に「ハンセン病に関わる謝罪声明」を公表し、ハンセン病問題は宗門あげて受け止めていく課題であると宣言しました。その取り組みのために生まれたのが「ハンセン病問題に関する懇談会」です。研修、交流、真相究明、里帰り支援など、さまざまな活動を全国で行っています。そして、「真宗大谷派ハンセン病問題全国交流集会」を、活動の集大成として、2年に1度、開催しています。
4 高山での開催の意義
第一回の交流集会は「真宗大谷派・全国ハンセン病療養所交流集会」という名称でした。名称からわかるように、私たちの関心は当初、入所者にのみに向けられていました。
その後、回を重ねるにつれ、退所者、遺族・家族、旧日本統治下に設置された台湾の療養所入所者と、出会いが広がっていきました。ひとつの出会いが新しい出会いを生み、ひとつの課題にふれることが新しい課題への眼を開かせてくれました。
今回、第7回目の交流集会開催地に名乗りを上げたのが高山のスタッフでした。その呼びかけに応じ、真宗本廟(東本願寺)を除いて、初めて療養所のない地域で交流集会を開催します。飛騨真宗の中心道場である高山別院をメイン会場とし、市民との交流を念頭に置いた日程を組みました。
ハンセン病問題は国民的課題であり、大谷派が取り組むべき課題です。しかし、90年にもおよぶ隔離政策は、療養所と社会の関係を遮断し、この問題を見えにくい存在にしてしまいました。療養所から離れている地域では、療養所の存在はおろか、ハンセン病問題でさえあまり知られていないのが実情です。結果、現在の運動は孤立する傾向を持ち、特殊な問題に関心をもつ人だけの事柄、他人事にされがちです。
だからこそ、今回は療養所のない高山で開催するという試みをおこないます。初めてハンセン病問題に触れる人もいるでしょう。初めて回復者と会う人もいるでしょう。故郷を思わせるような懐かしい街並み、人情暖かい高山の地を舞台として運動の輪を広げ、新たな多くの市民たちと交流し、ハンセン病問題を同じく「私(わたし)」の課題とする友として、共に歩み出したいのです。
5 ハンセン病問題の現状と課題
ハンセン病問題の現状と課題を、確認します。
①旧日本統治下の療養所、その入所者の現状
前回の京都集会では、台湾楽生園入所者との交流を持つことができました。アジア諸国のハンセン病患者に対しての政策と大谷派の関わりの究明、またそのことに私たちが無関心であったことを課題としつつ、さらなる交流を広め、深めます。
②「胎児標本」問題
療養所内の「断種」「堕胎」の実態と胎児標本の存在が、裁判後の検証で明らかになりました。この問題について、国はいまだ十分な解明をしようとはせず、その非さえ認めていません。
標本として残された堕胎児に対する国の対応は、遺族の心を踏みにじるようなものでした。そして、明確な謝罪がないまま、「慰霊」という形でこの問題に対する決着をつけようとしています。
この問題は、私たち宗教者に対して、死者と向き合うとはどういうことなのか、慰霊とは何なのかという課題を投げかけます。
③ハンセン病療養所の「将来構想問題」
 全国ハンセン病療養所入所者協議会(全療協)が中心となって「ハンセン病問題基本法を制定し、開かれた国立ハンセン病療養所の未来を求める国会請願署名運動」を展開しています。真宗大谷派もその賛同団体に加わっています。
入所者には今後の医療や介護についての深刻な不安があります。基本法の制定によって、「隔離政策に苦しめられてきた入所者が、その晩年を社会から切り離されることなく、たとえ「最後の一人」になるときが来るとしても、社会の中で生活するのと遜色ない生活及び医療が保障され、安心して暮らすことができる」療養所の実現が目指されています。
また、いまだに療養所が差別のまなざしの中にあり、社会とは離れた場所にあるという現実を、変えたいという願いが制定運動の根底にあります。その目指すイメージは、「開かれた療養所」です。たとえば、療養所が地域の人たちの福祉の場、医療の場となれば、そこは人と人との新たな出会いが生まれる場所となるでしょう。
現在のハンセン病政策の法的根拠となっている「らい予防法の廃止に関する法律」は、療養所を入所者の療養以外の目的で利用することを許しません。「ハンセン病問題基本法」は、療養所を隔離から解放の場所へ転換するという理念をもっています。
基本法制定運動についての理解を深め、大きな動きへと高めていくことが、現在の私たちの目前にある課題です。
④真宗大谷派としての課題
慰安教化の歴史に何を学ぶかという課題があります。真宗の救済観についての見直しといってもよいでしょう。
慰安教化の根底には「かわいそうな人を救ってあげる」という差別性が潜みます。救う側にいるつもりの人には、自分は正しいはずだという認識があり、救われる側にいるとみなされている人に、教化が何を感じさせ、何をもたらすのか、反省させることを阻みます。ハンセン病を患った人たちを「救済の客体」ととらえ、同情されるべきかわいそうな人として目線の下に固定するのです。
救う側と救われる側という二つの立場は相互に入れ代わることがなく、隔絶しています。そこに「解放の主体」として互いを見出しあう関係は生まれません。御同朋御同行精神の喪失です。
 慰安教化の歴史から問われる「宗教的救済観」の問題は、教学と社会の接点に起こる問題、ひいては同朋社会の顕現とは何かを問うことになると思います。
6 おわりに
私たちは、大谷派における交流集会の原点、ハンセン病問題への取り組みの原点は、徹底して「一人として出会う」ということであると意識してきました。それは、とりもなおさず、一人と一人のつながりの回復を課題にしてきたということに他なりません。今回の交流集会においても、もっとも大切にしたいことは、まさしくこの一点です。
今、私たちが願うことは、具体的な一人と出会いながら、私たちが暖かな血のかよった人間に立ち帰っていくことです。人間であることを回復する道へ・・・人間に帰ろう。

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