第11組解放運動研修会ノート
講師 訓覇浩 文責は流星にあり
問題を学ぶのではなく 問題に学ぶ
ハンセン病問題になにを学ぶのか 一人一人で変わってくる
解放運動を学ぶことで 様々な問題が課題として位置付けられてくる
「社会を問題にしている人たちは 自分が問題になっているんだろうか?」
そのように問われることがある しかし真宗はそこにある
自己を問えと言う自分には 部落差別をする心がある 靖国という非真宗を受用できる
戦争を否定しきれない 問わなくてはならない自己そのものが 問題に照らされる
私と 問おうとしている自己が切り離されてしまい 違う自分を問うていく
社会から問われている自己を 受け止めきれない 受け止めない方向に進んでしまう
「靖国やっている暇がない 国を問う 教団を問う暇がない」
同朋会運動において 自己を問うことが 国を問う 教団を問うことと一つになっていなかった
「自己の差別性に目が向く 大谷派ほど自己批判する教団はない」とも言われる
なぜ 私は差別をしますと 簡単に言えるだろうか
自己に向き合っているようにみえるが そうだろうか 自己満足?
心の問題に収斂できるようなことではない なぜ 差別する 排除する人間になったのか
社会で生きている私だからこそ 差別心が具体的な形になる
我執が 縁によって 人間の命を奪うまでになる 形をとるものとして問題になる
ハンセン病の嫌い方が作られていく要因があった
国のあり方 社会のあり方と切り離せない
排除の究極は 忘れ去ること ハンセン病患者は忘れ去られることが使命とされた
国 社会による 知らない私の存在 隔離政策の仕上げ
差別心の問題ではない 存在を許さない社会観 国家観が問題なのである
隔離政策は 隔離されている人を救っているという意識の下で行われた
隔離政策を懸案した人々は それが人権侵害であり 隔離する必要はないと分かっていた
よいことをしているつもりだった
善意を盾にすると 患者を嫌う気持ちと葛藤することがなくなる
新憲法のもとでも らい予防法が憲法に抵触するとは思わなかった
予防法が もう必要ないからなくすのではない
違憲訴訟によって はじめて違憲だということが明らかになった
大逆事件について その背景は社会主義が民衆と結びつくことを恐れた
絶対権力者ではなく絶対救済者としての天皇を作り出すことが山県有朋の狙い
本当の人間の救済とは? 救済する側 される側に分離されるところにはない
互いを同朋として見出す 超個とは違う 丸ごとの自分で生きること
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