ハンセン病訴訟勝訴9周年記念シンポジウム
18日 開催の前にKNBから藤田三四郎さんへのインタビューがありました
KNB←動画あり
ハンセン病に対する差別や偏見をなくそうと活動している市民グループが、ハンセン病の回復者らを招いて18日午後6時半から富山市でシンポジウムを開きます。
18日のシンポジウムで講師を務めるのが、ハンセン病回復者の藤田三四郎さん(84)です。 昭和20年、藤田さんは、群馬県の国立ハンセン病療養所栗生楽泉園に隔離されました。 当時19歳でした。
藤田さん「地獄と一緒ですよ、療養所といっても名ばかりだった、一番大事なことは負の遺産をのこすということ(ハンセン病という)名前は知っていても病気に対しての知識が足りないから、正しく理解してもらいたい」
シンポジウムは、ハンセン病に対する国の対応の誤りを認めた平成13年の熊本地方裁判所での判決を記念し、毎年6月に富山で開かれていて、今年が9回目です。
今回は、強制隔離という負の遺産を保存・継承する意義について考えます。
主催するハンセン病問題ふるさとネットワーク富山の藤野豊代表は、富山県からも多くの人が強制隔離され、今も帰れないままでいることを忘れないでほしいと話します。
藤野さん「熊本判決を忘れないと、そしてハンセン病が恐ろしい伝染病だという国の宣伝によって我々が地域から多くの方々を排除していった、だからそのことを忘れないで、いつでも富山の方が富山に帰ってこれる状況を作っていく、そういうことが一番必要だと思います、そのためにもハンセン病に対する偏見のない正しい認識を持ってもらいたいし、過去の人権侵害の事実はきっちり、記憶してもらいたいと思っています」
今でも10人の方が故郷、富山に帰れないまま、全国の療養所で暮らしています。
ハンセン病訴訟勝訴9周年記念シンポジウムは、18日午後6時半から富山市民プラザで始まります。
私はネットワーク副代表として開会挨拶をしました 今の私個人の思いを込めた内容です 掲載させていただきます
私ども「ふるさとネットワーク富山」は2002年より毎年、ハンセン病国家賠償請求訴訟勝訴記念のシンポジウムを開催して来ました。医療従事者、市民活動に関わる方々、そして東西両本願寺の門徒、僧侶が力を合わせて開催し、9周年を迎えることになりました。こうして続けてこられたのは、いま会場にきていただいている皆様一人一人のおかげです。改めて御礼を申し上げます。
この9年を振り返りますと、2006年、療養所のない富山がハンセン病市民学会交流集会の会場となり、全国から1000人以上の参加者を集めたこともございました。2008年には高岡、魚津の二会場で「新・あつい壁」の上映を致しました。同年にはハンセン病問題基本法の署名運動に取り組み、制定に至ったということもありました。
しかし、ハンセン病問題はまだまだ終わっていません。風化などしておりません。先月、5月20日付けの読売新聞に「「ともに差別」、ハンセン病元患者遺族が国に賠償請求」というタイトルの記事が載りました。その記事を読み上げます。「ハンセン病の在宅治療を受けた亡母とともに、国の隔離政策による差別で苦痛を受けたとして、鳥取県内の男性が国と同県に慰謝料など1925万円の損害賠償を求める訴えを鳥取地裁に起こした。原告側の弁護士によると、元患者家族の受けた被害に対する国家賠償請求訴訟は全国で初めて。」というものです。
元患者の家族の方々がこうむられた、特に結婚や就職に関する差別は極めて深刻なものでした。今も富山出身の元患者の方に里帰りをお勧めしても、ふるさとの家族に迷惑をかけるからと断られるばかりです。ハンセン病問題はここから遠くにある療養所の中だけの問題ではない。今、私たちのすぐそこにある、ここ富山にある差別問題なのだ、ということです。勝訴から9年という時間がたったからこそ、隔離政策の本質がますます露わになってきたのだと、わたしは思います。
さて9周年を迎えて、シンポジウムのテーマを、私たちは「隔離の負の遺産を保存・継承する」と致しました。ここで言う「負の遺産」とは、重監房といった施設だけではありません。ハンセン病問題という課題そのものでもあります。この重いけれども大切な課題を次の世代へ、未来の人々へと引き継いでいく意義を、宮坂道夫さん、藤田三四郎さん、お二人の講師から、改めて皆様と共に学びたいと思います。
宮坂道夫さんの「負の遺産とはなにか」というお話から始まりました
栗生楽泉園にある重監房を保存する活動を通して ユネスコがアウシュビッツを世界遺産として位置づけていることを紹介されました。よいことだけを遺産とするのではなく 人間が犯してきた罪を見つめるために「負の遺産」を継承する意義を教えていただきました
藤田さんは入所者自治会会長として 現在の回復者の方々が抱えている課題について話されました いつもの軽妙な様子とは違う迫力を 講演を通して感じました
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