ハンセン病訴訟勝訴9周年記念シンポジウムちらし

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趣意
2001年5月11日、熊本地裁は、ハンセン病国賠訴訟において、患者・回復者に対する絶対隔離を規定した「らい予防法」は憲法違反であるとして、国に賠償を命じる判決を下しました。これをもってハンセン病患者・回復者の人権が回復されたかに思えました。また、全国のハンセン病療養所では入所者の高齢化とそれによる入所者の減少が進み、療養所の存続が危機にさらされていますが、一昨年「ハンセン病問題基本法」が制定され、各療養所を地域に開かれた医療・福祉機関に発展させることや人権啓発を促進することにより運動のさらなる前進が可能となりました。
しかし未だに、全国の国立・私立のハンセン病療養所の入所者約2500余名の多くがふるさとに帰ることができず、家族や親族とも会えない状態におかれています。各療養所の納骨堂にはふるさとの墓に帰れないたくさんの遺骨が眠っています。富山県出身者の多くもふるさとに帰ることができません。今なおこうした状態が続くのは、国の誤った絶対隔離政策のもとで自治体が患者の摘発を進め、地域住民が協力したことにも起因しています。ハンセン病回復者への差別を一掃し、ふるさとに自由に帰ることができる社会をつくることは、国・自治体の責務でもあり、同時に私たち一人ひとりの課題でもあります。
さらに、時間の経過とともに画期的な熊本地裁判決の風化も進んでいます。わたくしたちは、判決を風化させないためにも、かつての国による強制隔離の事実を忘れてはならないと思います。また、その際、強制隔離のシンボルともなる施設の保存は不可欠です。1938年、群馬県の草津にある国立ハンセン病療養所栗生楽泉園に「特別病室」という名の重監房がつくられ、強制隔離に抵抗したハンセン病患者らを監禁し、92名以上が亡くなりました。今、その再建・保存が実現に向かっています。しかし、ハンセン病患者の受刑者を収容した旧熊本刑務所菊池医療刑務支所では、今その跡地が売却されるおそれがあり、保存を求める声が上がっています。
わたくしたちは、ハンセン病国賠訴訟の勝訴9周年にあたり、「重監房」の再建・保存に尽力されてきた生命倫理学者の宮坂道夫さん、栗生楽泉園の入所者自治会長として資料保存や資料館建設を進めてこられた国賠訴訟原告でもある藤田三四郎さんをお招きし、判決を風化させず、強制隔離の負の遺産を保存する意義について、市民の皆様とともに考えたいと思います。
どうぞ、多くの方がこのシンポジウムに参加され、ハンセン病問題の根本的解決を目指し、県出身回復者の方々とふるさと富山を結ぶ絆を強くしていかれるよう、心よりお願い申し上げます。
2010年5月15日 ハンセン病問題ふるさとネットワーク富山

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