第11組 組同朋の会
18日 上市 浄誓寺 テキスト 観無量寿経ガイド 像観
まず華座観の後半に「かくのごとき妙華は、これもと法蔵比丘の願力の所成なり」
浄土荘厳 依報の最後にある言葉の重要性を指摘
善導が 像観を 主に仏像を礼拝するという行為として読み解いており
「是心作仏 是心是仏」は 唯識法身ではなく
仏を礼拝する行為そのものが 仏を仏として成り立たせるのであることである
そこから「心眼」が開け 韋提希は無数の阿弥陀を見ることになるのだが
自性清浄法性や娑婆即寂光土ということではなくて
苦悩の娑婆に仏の教えを見出す 悩み苦しみは消えないけれど 生きていくことであると
「けしの種」 キサーゴーザミーが 我が子の死から無常を悟ったように とお話しました
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