ハンセン病シンポ
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ハンセン病に対する差別や偏見をなくそうと活動している市民グループが、先週金曜日、ハンセン病の回復者らを招いて、戦争をテーマに富山市でシンポジウムを開きました。
今なぜ戦争とハンセン病なのかシンポジウムで伝えたかったことを取材しました。
山下道輔さんは「12歳なので病院の事情は把握できない、子どもは子ども舎に収容されるわけで、一般の大人の付き合いはなかった」
山下道輔さん(80)、太平洋戦争が始まる昭和16年、わずか12歳で両親の元から東京にある多磨全生園に強制隔離されました。
療養所では治療よりも食糧増産が優先されました。
山下さんは「副食関係の野菜物ですね、ジャガイモ、ニンジン、そういった畑で採れるいろんな形のものを作りました」(体はきつかった?)「2年ぐらいすると病気が進行してくる、当時は栄養も不足していたので反応がものすごく大きくて、まず最初に熱こぶが出てくる」
山下さんは、戦争のため病気の症状が悪化したと証言します。
このシンポジウムは、ハンセン病に対する国の対応の誤りを認めた平成13年の熊本地裁での判決を風化させまいと毎年富山市で開かれていて、今年は「戦争とハンセン病」がテーマです。
パネリストの1人で、ハンセン病問題を研究してる吉川由紀さんは、地上戦が行われた沖縄県では、軍によって強制隔離が行われ、患者の待遇も劣悪だったと話しました。
吉川さんは「病気を理由に家族と引き裂かれながら治療らしい治療も受けられずに強制労働に駆り立てられてけがをすれば手足を切断されて飢餓とマラリアの中で死んでいく、この弱い人弱い人に被害が押し付けられていった典型を愛楽園(療養所名)の沖縄から見ることができます」
シンポジウムを主催したハンセン病問題ふるさとネットワーク富山の藤野豊代表は、戦争と差別の歴史を考えてほしいと話します。
藤野さんは「今の日本の状況というのは段々と戦争をやってもいいんだという流れが出来てきているので、戦争が起こったらこういう人権侵害が起こるんだということを、今僕たちは伝えないといけないと思っている」
シンポジウムを前に富山別院を訪れ平和を願った山下さんのこの一言が、当時の様子を表しています。
山下さんは「何しろ戦時中になってくると国旗の汚点だっていうんですよね、患者は・・・」
過去を風化させないために、少しでも関心を持って、戦時中に何が行われていたのか、知ることが大切だと思いました。
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