第11組 同朋の会
18日 テキスト「観無量寿経ガイド」地想観 会場は上市 浄誓寺
地想観の前半について 水想観で「地」についての形容は終わった上で
釈尊がさらに語っているのは 浄土を観る側の問題であり
観察される するということの両面を 示そうとしている
経文の通りに 常時 観を集中することは ほとんど不可能だが
これを そのままひっくり返して 光に満ちた「地」が こちらを照らす
手を合わす人の前に仏はいる という話をしました
しかし 参加者には もうひとつ伝わらなかったようでした
経文自体を 最初からこのように読むのは無理があり
この後の 観経の展開を踏まえないと 読み込めないのだと思います
地想観の後半は 「救われる」というのは 過去が救われることであり
過去との和解 「おくりびと」の最後のシーンを例に出して
自分自身を許すということであるという話をしました
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