聖徳太子
17日に「皇太子聖徳奉讃」について話します
聖人は法然の伝記「西方指南鈔」と同様に、
晩年に聖徳太子の和讃を集中して製作されたと言われています。
これまで これらの和讃をどのように捉えたらよいのか分からなかったのですが
最後の和讃の「護持養育」が手がかりになりました
聖徳皇のおあわれみに
護持養育たえずして
如来二種の回向に
すすめいれしめおわします
「護持養育」と言いますと、化身土巻の大集経からの引文に頻繁にに出てくる言葉です
そのあたりは、藤場俊基さんが著書で
「無戒名字の比丘」や法難との関連を指摘している箇所
吉水教団を弾圧した権力者は いかなるものを仏教としていたのか
それに対して親鸞の時代に聖徳太子信仰を支えたのは いかなる人々であったか
このように考えれば かなり整理して 聖徳太子の和讃について語れそうです
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