公開講座チラシ

 「廃仏毀釈を知っていますか?」。富山市内で、道行く人にこのような質問を投げかけても、ほとんどの人は首をかしげるだろう。富山空襲の記憶すら風化しつつある今日、それは致し方のないことかもしれない。
 しかし、仏教徒が人口の大半を占めるこの地は、今から138年前、もっとも激しい仏教弾圧が行われた場所であった。なかでも、大多数の門徒を擁した真宗寺院に対する迫害は、ひときわ蛾烈を極めた。
 明治3(1870)年閏10月27日、富山藩は突如として「藩内すべての寺を、一宗一寺に合併する」との合寺令を発布した。封建時代の安逸をむさぽってきた寺院と仏教徒にとっては、まさに晴天の霹靂であった。収奪された法具や梵鐘は、門徒らの目前で鋳潰され、藩の軍備拡張のため、砲弾や銃弾に改鋳されていった。
 この時期、廃仏毀釈は、菊間藩や薩摩藩など各藩でも散発的に行われたが、ここまで徹底した激しいやり方は、全国に例がない。
 総曲輪に建っている東西本願寺別院は、そうした過酷な試練にさらされた人々が、地道な努力の末に、ついに信教の自由を勝ち取った抵抗のモニュメントなのである。

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