明治期の真宗・参加型法要
廃仏毀釈について手元にある資料をパラパラめくる。
嶋地黙雷の存在の大きさを感じる。周防出身の同志たちと共に明治政府と深いパイプをもち、西本願寺を改革し、近代化した人物だ。「信教の自由」を憲法に盛り込んだとして、あらゆる資料に名前が出てくる。
対して、大谷派の宗政の動向は一般資料ではなかなか見えてこない。松本白華ら、そのころの宗政に関わる人物達の出身、加賀藩は、維新では乗り遅れた存在だった、ということだ。明治28からの清沢満之らによる宗門改革運動になって、やっと大谷派の動きが目立ち始める。
あるいはやがて、政府と一体となって敗戦を迎えた本願寺派だから、実証的な歴史研究が優れていて、対抗するような形で大谷派では近代教学としての精神主義があるのかな。
いずれにせよ、手元にあるもの、富山ではこれが限界。大谷大学図書館が近くにあればいいのになぁ。
午後から教務所で「住職総合研修」という、たいそうな名前の研修に参加。
帰敬式実践運動の上意下達だろうけれど、昨日で住職若葉マークが取れた?ばかりで、わざわざ封書でチラシまで送ってくださったので、正直嫌々参加しました。
講師は渡辺晃純さん。10年ぶりにお会いしました。懐かしかった。で、意外とおもしろかった。
たとえば、御自坊での法要式の取り組み。通常の読経はせずに、嘆仏偈と三誓偈の間に念仏和讃を挟むような形、昭和法要式の経文の代わりに偈文を置くような形で門徒さんと一緒にお勤めして、法話、そして正信偈の同朋唱和、というようなことをやっている。
私も、それこそ上意下達ではなく、参加型というのが真宗の儀式の形だと思うので、非常に参考になった。
帰って父に話してみた。「そりゃあいい」という反応なんだが、具体的なところまで話し合うと、やっぱりこれまでの形を変えることは難しいということになる。
しかし、住職になったからには、現在以上の参加型の法要に、なんとか取り組んでみたいと思っている。
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