合寺事件プレゼン

富山藩合寺事件

別院設立
富山藩とは
加賀藩の支藩
#画像=1.jpg
明治3年
(1870年)
10月27日
合寺令発令
すべての寺院は
一派一寺に
ただちに合寺せよ
大谷派寺院
70ヶ寺
本願寺派寺院
185ヶ寺
合わせて
255ヶ寺を
1ヶ寺に
数百人にのぼる
武装兵士を配備
合寺をためらうもの
即時に逮捕
寺院は
取り壊され
仏具は
鋳つぶされた
真宗の合併所
「持専寺」
1200人あまり
240畳に雑居
町名を改名
寺町

梅沢町
海岸寺町

八人町
古寺町

常盤町
政府は黙認
北陸門徒に動揺
僧侶たち
本山
動き始める
明治4年
7月22日
廃藩置県
合寺事件
未解決のまま
明治5年
9月24日
合寺令解除
明治11年
解決
明治13年
総曲輪に
説教場設立
明治17年
別院に昇格
明治19年
「砂持ち奉仕」
神通川の土砂で
富山城の堀を
埋め立てる
参加
延べ7000人以上
明治21年
(1888)
仮本堂完成
明治32年
(1899)
富山大火
昭和20年
(1945)
富山大空襲
そして
現在にいたる

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です