震災の地
14日 月参りをしつつ、志賀町で開催される北陸連区差別問題研修会に向かいました。
能登へ向かう目的はもう一つありました。
富来町の震災に遭われた、ある寺院をお見舞いにいくことです。
あおさんのブログに写真が載りました。
私が能登教務所に勤めていたとき、
顔なじみのご住職、そして坊守さんは当時、坊守会長をされていて
大きな行事をごいっしょさせて頂いた、お二人のお寺だったのです。
志賀町についてお電話したところ、金沢の娘さんの家につながりました。
久しぶりにお聞きする声でした。15日にお会いする約束をしました。
研修会のテーマは「業、宿業」です。講師は近藤祐昭さん。
仏教の「業」の思想は縁起的業報思想であり、ヒンズー教の業報思想とは本来異なっている。
しかし、大無量寿経の五悪段にはその深い影響が見られる。
それでも親鸞聖人は歎異抄13章にあるように、仏教の戒律によって罪悪感を持たされてきた人々を、罪悪感から解放した。一人ひとりの持っている生きることへの意欲や情熱、人間の尊厳を支えている願いとしての本願を明らかにしていった。歎異抄には、因果応報、自業自得、悪因苦果(悪果)といった考えは見られない。むしろそうした業報観を批判した。
大谷尊由に反論した西光万吉論文「業報に喘ぐ」。業報として社会的差別を諦めるのではなく、差別のない世界を限りなく目指すことを「大悲が私に為させてくれた」「水平運動を見る人よ、業報に喘ぎつつ白道を進む人間の姿を見よ。」
以上、レジメの印象に残った部分を抜き書きしておきます。
15日、研修会を終え、ボランティア活動の受け入れをされている長谷部さん(今月の同朋新聞に談話が載っている)と解放運動推進本部の辻内さんとともに被災地に向かいました。
寺の状況はあおさんの写真のままでした。お二人はお変わりになっていませんでしたが、金沢との往復にさすがに疲れていらっしゃいました。「震災のおかげでこんな懐かしい人と合えるなんて」とお互いに笑いながら、涙が出そうでした。本堂にお参りさせていただきました。ボランティアのおかげで掃除はできたということですが、お木像の代わりに置いてある三つ折本尊に手を合わせると、もうなんとも言いようもない気持ちになりました。
お別れして門前の町へ向かいますと、ブルーシートで瓦屋根を覆った家屋が、広い範囲にたくさんありました。解体中の家がたくさんありました。
門前町の仮設住宅を訪れました。輪島にもできているとの事です。
かつて、神戸で見た風景が、能登の海辺にありました。
5月に入って建設されたばかりで、引越しの第1陣が終わったところの事です。
散歩していらっしゃった方とお話しました。長谷部さんの親戚寺院のご門徒さんでした。
地震で陥没や断層ができて、風景が変わってしまったとおっしゃっていました。
すぐに近くにボランティアセンターがあり、ひっこし手伝いなど、個人ボランティアを受け付ける体制ができていました。
辻内さんの神戸からのボランティア、NGOなどについて、長谷部さんと打ち合わせしていました。
辻内さんを津幡駅まで送り、帰路に着きました。
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