スピリチュアルな阿弥陀経

明日、午後から組同朋会です。
テキスト阿弥陀経で、正宗分に入ります。
阿弥陀経に取り組むのは初体験。
「極楽」っていいですよねぇ。
もう、すぐ行ってしまいたい気分になるほど、読めば読むほど夢心地になってしまいます。
しかし、親鸞は「極楽」って言葉はあまり使わなかったし、阿弥陀経の荘厳についても取り上げていない。
私なんかも、意外に、こういう極楽世界のことについては、法話とか聞いたことがない。
だから、悩みました。
どう話したらええのやらと。
香山リカ「スピリチュアルにハマる人、ハマらない人」を読んだことが、一つ、突破口になりました。
教祖との個人的一体感とか、利他主義的な考え方が皆無というのは、もろ第二十願の問題ですよね。
「読み解く」第五巻 p172にある三心釈の配当においても、真門は深心釈(二種深信)だけで、至誠心、廻向発願心からの引文はない。けっきょく、利己的で、自己完結の世界と親鸞は見てる。すんごい、きびしい見方だと思うけど。
スピリチュアルと阿弥陀経の世界観というのは、けっこう重なるかもしれない。
そのあたりから話せたらなーと、思ってます。

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