法然と親鸞 その5
華の会、終わりました。
まず、出家と法難を中心に法然の生涯を追ってから正信偈の文言へ。
選択本願の説明と浄土宗開宗の意義についておはなしました。
若坊守さんたちが、ぐいぐい内容に入ってこられるのを感じました。
法然上人の教えは、実に明快で分かりやすい。
聞く人に、ぐっと迫るものがあるんだと実感しました。
しかし、一番仏教から遠いとされていた人々こそ、弥陀の救いの対象なのであるという、法然の逆転の発想は、理解できたとしても本当に信じる事は、とても難しい。世の中はしっかりエリートを頂点としたピラミッドになってるし、自力中心の考え方は、人の本能といってよいほど抜きがたい。信じることができたと意識したとしても、今度は称える念仏を、自らの救いの手段にしてしまう。仏智疑惑が終わらない、人の本性。
正信偈源空章の後半に、「疑情」と「信心」という言葉を親鸞が選んだ意味が分かりました。ここからの問題を、この後の信巻と化身土巻で展開したんだなぁと、思い当たったことでした まる
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