法然と親鸞 その3
そして先日、それこそ20年ぶりに井上円さんとお会いした。
歎異抄「親鸞は弟子一人ももたずそうろう」について、面白いことを話された。
親鸞という人は、弟子をつくる人ではなかった。
師を次々に見つけ出していった人であったということだ。
親鸞が見出していった七高僧たちは、様々な位置づけをされているが、それなりにさかのぼっていくことができる。(天親→龍樹は無理かな。曇鸞→龍樹だ。)
親鸞は浄土教における到達点、頂点であると、宗派の教学に携る方々はよく話されるが、かなり危険なことだと思う。親鸞にしてみれば、七高僧たちがすでに見出してきていたことを、自分の時代状況と問題意識の下で確かめたのが、教行信証なのであろう。
だから、親鸞には法然にはない要素があると書いたが、正確には法然からさかのぼった曇鸞のなかに大切なものを見出したということだ。
まぁ、そんなこんなで、なぜ親鸞が選択集の中から「生死の家には疑を以て所止 と為、涅槃の城には信を以て能入と為。」だけを正信偈に抜き出したのかについては、結局、ピンとくる理由が見つからない。
コメントを残す