「ハンセン懇」交流集会部会・「合同慰霊祭」
次回の交流集会のための打ち合わせ。
交流集会部会担当者のほかに、邑久光明園の吉田さん、長島愛生園の鈴木さん、東日本退所者の会から石山さん、関西退所者の会から山中さん、光明園窓口担当者の勝間さん、愛生園窓口担当者の杉中さんを招聘し、2日から2日間にわたって開催。
京都、療養所、療養所のない場所、3パターンでの開催について、メリット、デメリットを整理する作業などを行いました。
亡き妻にありがとう -開かれた道ーに関わられた杉中さんに、あの記事の周辺について聞く事ができたりもしました。
2日の夜は宿を駅前に取りました。
学生時代に何度か行ったテントのラーメン屋台を思い出して、ふらっと出てみました。
バスの運行が終わったあとのスペースでやっていたんですよ。
近くのコンビニの店員さんに尋ねたところ、「そんなことがあったんですか」。。。
もう20年以上も昔のことだからなー。
3日は光明園と愛生園で胎児標本にされた子ども達の「慰霊式」が行われるということで、出席者は半分になりました。
これまで、園主催の式典のあり方についての議論がありました。それが、現実となり、いくつかの療養所で執り行われつつあります。なにか、物事がはっきりしない感じがします。
http://news.tbs.co.jp/part_news/part_news3393952.html
ハンセン病の強制堕胎、岡山で慰霊祭
ハンセン病の患者らが強制堕胎を強いられ、全国の国立療養所にホルマリン漬けの胎児の標本として残されている問題を以前、お伝えしました。このうち、全国で最も多くの胎児の標本が残っていた岡山県内の療養所で3日、合同慰霊祭が執り行われました。
合同慰霊祭がとり行われた岡山県の邑久光明園では3日、参列しました入所者の代表者は、「厚生労働省が謝罪しても堕胎させられた母親には簡単に納得できるものではない」ということを非常に厳しい口調で語っていました。
かつて、絶対隔離の島だった岡山県の長島。入所者の平均年齢は79歳。出席した入所者も介護士の付き添いが必要です。邑久光明園には全国の療養所に残されていた胎児115体のうちの49体がありました。
慰霊祭で厚生労働省は、国策で胎児の命を奪ったことに謝罪しました。
「厚労省を代表して心からお詫び申し上げます」(厚生労働省の代表)
49体の胎児標本のうち21体はカルテなどもなく、両親が特定できませんでした。入所者は法律に基づかない男性への断種、女性への堕胎を国が黙認したことに強い批判の声を上げました。
国立療養所の標本室。強制堕胎させられた胎児たち。60数年にもわたって放置されてきました。昭和16年8月28日、堕胎させられた日です。ガラス容器の中の胎児。表情は天使のようにも見えます。
「廊下の外に放り投げてあったんです。子どもを・・・。まだ泣きよったからな・・・」(堕胎させられた松下ヨシエさん)
母親の胸のわだかまりは消えません。自ら堕胎手術に当たったという元看護婦が健在でした。今年99歳になります。
「まだ子どもに意識も何にも別にないし、同じ病気になったら、かわいそうだから・・・かえって私は亡くなったほうがいいと思いました」(堕胎手術をした元看護婦)
高まる軍靴の響き。祖国浄化がうたわれました。ハンセン病は国の恥。根絶やしにする国策がとられました。
「殺すと言ったらいかんかもしれんけど、見殺しやね」(池田シヅエさん)
邑久光明園に暮らす池田シヅエさん(84)。昭和16年、妊娠7カ月。女の子を堕胎させられました。胎児は4日、火葬されます。池田さんは我が子を一度も抱くこともありませんでした。
3日の慰霊祭は、決して胎児問題の終わりではないというのが入所者たちの共通した認識です。研究対象にもならず、なぜ命を奪われ、そして長年にわたって放置されてきたのか、検証を続けてほしいという思いです。
こうした国の過ちを繰り返さないためにも、こうした事実を我々も報道していくことが大切です。(03日18:08)
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