玉永寺同朋会レジメ

レジメを作り始めてから気がついたのですが、「尊号真像銘文」の正信偈の部分もここから始まっています。親鸞さんには、ここから一つの流れが始まるという考えがあったんじゃないでしょうか。
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本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願(第十八願)を因とす。
「なむあみだぶつ」は第十八願に誓われた言葉です。念仏には阿弥陀仏からたまわりたる信心が込められています。
等覚を成り、大涅槃を証することは、必至滅度の願(第十一願)成就なり。
念仏するものが、必ず悟りを開き、救われることが決まっているのは、阿弥陀仏が第十一願でそのように誓ってくださっているからです。
如来、世に出興したまうゆえは、弥陀本願海を説かんとなり。
○ 如来 仏のこと この場合は特に、釈迦如来を指す
○ 出興 あらわれる
○ 弥陀 阿弥陀仏
○ 本願海 海のように深く広い本願
釈迦如来や諸々の仏たちがこの世にあらわれたのは、ただひとえに、海のように深く広い阿弥陀の本願を説くためでした。それによってあらゆる人びとを助け救おうと思われたからでした。
五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
○ 五濁 末世にあらわれる五つの濁り
劫濁(時代の濁り)、見濁(見方の濁り)、煩悩濁(煩悩が更に濁る)、衆生濁(人々の濁り)、命濁(命の濁り)
○ 群生海 多くの人が群がって生きる、海のように広い世界
○ 如実の言 真実の言葉
濁った世界、悪い時代に生き、悲しみの海におぼれているものよ。釈迦如来のまことの言葉をいただき、信じてほしいのです。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。
○ 一念 ひと思い、一瞬間
○ 喜愛の心 信心
○ 煩悩 怒ったり、憎んだり、恨んだり、楽しんだり、喜んだりする感情に、自分の心が縛られていること。「煩は、みをわずらわす。悩は、こころをなやますという。
喜ばしいこの心をおこしたならば、必ず浄土に生まれることになります。煩悩を断ったり捨てることなく、無上の涅槃の悟りをうることになります。
凡聖、逆謗、ひとしく回入すれば、衆水、海に入りて一味なるがごとし。
○ 凡 凡夫、煩悩によって迷い苦しんでいる人々
○ 聖 聖者、智慧や徳がすぐれているとされる人々
○ 逆 五逆罪を犯した人々
五逆罪 父を殺す、母を殺す、聖者を殺す、教団を乱す、仏を傷つける
○ 謗 謗法する人々。仏法を謗る人々
○ 回入 まわしいれる 回心
○ 衆水 大小さまざまな河川の流れ
凡夫も聖者も罪人も極悪人も、みな信心をえて、広大な信心の海に入っていくのは、大小さまざまな川の水が海に入って一つのあじわいになるようなものです。

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