玉永寺同朋の会レジメ

明後日の準備をしています。 「本願名号正定業」を第十七願の内容とする本が多くて、それが定説みたいになっているようですが、煩雑になるし、そうなのかなとも思いますので、今回は省略します。

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本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。

「なむあみだぶつ」は、だれもが確実に浄土へ生まれるおこないです。至心信楽の願(第十八願)が、その証拠です。

第十八願「設い我仏を得たらんに、十方の衆生、心を至し信楽して我が国に生まれんと欲うて、乃至十念せん。もし生まれずは正覚を取らじと。ただ五逆と誹謗正法とをば除く」

「わたしが仏になるとして、あらゆる人々が、まことの心で信じ喜び、私の国に生まれたいと思って、せいぜい十回は念仏してもらいたい。もし、わたしの国に生まれることができなければ、わたしは決してさとりを開くまい。ただし、五逆の罪を犯したり、正しい法をそしるものをのぞく。」

等覚を成り、大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。

念仏者が仏に等しい悟りを完成させ、大いなる涅槃を得られるのは、必至滅度の願(第十一願)が完成しているからです。

第十一願「設い我仏を得たらんに、国の中の人天、成就に住し必ず滅度に至らずは、正覚を取らじ」

「わたしが仏になるとして、国の中の人々が、必ず悟りに至ることが定まって至ることがなければ、わたしは決して悟りを開くまい。」

○法蔵菩薩が誓った本願は四十八あり、どれにも「わたしが仏になるとして(設我得仏)」「~が実現しないならば、わたしは悟りを開かない(不取正覚)」の言葉が入っている。

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