道綽のパラダイム変換
というか、七高僧というのはどなたもそうなのかもしれませんが。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、 ただ浄土の通入すべきことを明かす。
万善の自力、勤修を貶す。 円満の徳号、専称を勧む。
三不三信の誨、慇懃にして、 像末法滅、同じく悲引す。
一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、 安養界に至りて妙果を証せしむと、いえり。
修行や知識やマジメさなど、人が「善」「聖道」としている事柄が、本当に人を仏道に導いているだろうかという視点を道綽は持ちました。政治によって僧籍を奪われた経験をもつからこそ、「善」「聖道」の内容は人々を支配するために作為されたとまで考えたのではないか。「一生悪を造」るとして仏道から一番遠いとされた人々を救う浄土の教え、のみを勧めた道綽は、曇鸞と善導にはさまれて不人気ですが、善悪の価値観を明確にパラダイム変換できた、もっと注目すべき人物じゃないかと思いました。
華の会、終わりました。富山教区でも、とくに活気のある若坊守の会です。ぜひともジェンダーの視点でお話をしてみたいと思いましたが力不足、まだまだ学びが足りません。がんばろう
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