無量寿とは常住のことだった

先回の同朋会では無量寿をもうひとつうまく説明できませんでした。というか無量寿=慈悲、無量光=智慧の出典どこなんだろう? 無量寿を「えんえんと連なる無数の命」とか「いのちそのもの」とか言う人がいるけど、これも出典はどこなんだ? 安心決定鈔? とかいろいろ考えてて。ふっと、そういえば真仏土巻ってどうなってたっけ? で、「読み解く」親鸞の教行信証を読み解く〈3〉証・真仏土巻―浄土教は仏教であるか否かもパラパラとめくってみたら


「真仏土巻は寿命無量の成就について冷淡である」との私の見解に対して、原稿の下読みを依頼した友人から、「寿命無量の成就は『涅槃経』に展開されているのではないか」との指摘を受けました。たしかにそのように考えられる要素がありますので、ここに書き添えておきます。


おおう、そういうことかー。真仏土巻の涅槃経引文は、無常なる世においてなぜ常なるものがあるように釈尊は説いたのよみたいな議論が展開されているのだが、これを親鸞は弥陀の寿命無量を説明するのにつかっているんだな!


ということで、いきなりこのあたりが、かなりスッキリしたことだった

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