グロッキーっす
今日の日記
月参り 終日 東城報恩講 ああん もう 左膝が限界です
夜、明日の同朋会のために 気力を振り絞って資料をつくりましたよ↓ こんなんでええんやろうか もう根性がなくなってしまいました 風呂入って寝ることにします
正信偈はどこに書いてあるか
「教行信証」 親鸞聖人の中心的著作
教巻 行巻 信巻 証巻 真仏土巻 化身土巻
行巻の末尾に「正信念仏偈」が置かれる
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正信偈の内容
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<!–[if !supportLists]–>○ <!–[endif]–>偈前の文
しかれば大聖の真言に帰し、大祖の解釈に閲して、
仏恩の深遠なるを信知して、正信念仏偈を作りて曰わく、
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○帰敬
無量寿如来に帰命し、 不可思議光に南無したてまつる。
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○法蔵菩薩の発願
法蔵菩薩因位の時、 世自在王仏の所にましまして、
諸仏の浄土の因、 国土人天の善悪を覩見して、
無上殊勝の願を建立し、 希有の大弘誓を超発せり。
五劫、これを思惟して摂受す。 重ねて誓うらくは名声十方に聞こえんと。
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○阿弥陀仏の光明を十二光として称える
あまねく、無量・無辺光、 無碍・無対・光炎王、
清浄・歓喜・智慧光、 不断・難思・無称光、
超日月光を放って、塵刹を照らす。 一切の群生、光照を蒙る。
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○本願と私たちの関係
本願の名号は正定の業なり。 至心信楽の願を因とす。
等覚を成り、大涅槃を証することは、 必至滅度の願成就なり。
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○釈尊が本当に言いたかったこと
如来、世に出興したまうゆえは、 弥陀本願海を説かんとなり。
五濁悪時の群生海、 如来如実の言を信ずべし。
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○信心の利益
よく一念喜愛の心を発すれば、 煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。
凡聖、逆謗、ひとしく回入すれば、 衆水、海に入りて一味なるがごとし。
摂取の心光、常に摂護したまう。 すでによく無明の闇を破すといえども、
貪愛・瞋憎の雲霧、 常に真実信心の天に覆えり。
たとえば、日光の雲霧に覆わるれども、 雲霧の下、明らかにして闇きことなきがごとし。
信を獲れば見て敬い大きに慶喜せん、 すなわち横に五悪趣を超截す。
一切善悪の凡夫人、 如来の弘誓願を聞信すれば、
仏、広大勝解の者と言えり。 この人を分陀利華と名づく。
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○信心を得るということについて
弥陀仏の本願念仏は、 邪見驕慢の悪衆生、
信楽を受持すること、はなはだもって難し。
難中の難、これに過ぎたるはなし。
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○七高僧の伝統
印度・西天の論家、 中夏・日域の高僧、
大聖興世の正意を顕し、 如来の本誓、機に応ぜることを明かす。
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○龍樹菩薩
釈迦如来、楞伽山にして、 衆のために告命したまわく、
南天竺に、龍樹大士世に出でて、 ことごとく、よく有無の見を摧破せん。
大乗無上の法を宣説し、 歓喜地を証して、安楽に生ぜん、と。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、 易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、 自然に即の時、必定に入る。
ただよく、常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべし、といえり。
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○天親菩薩
天親菩薩、論を造りて説かく、 無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅に依って真実を顕して、 横超の大誓願を光闡す。
広く本願力の回向に由って、 群生を度せんがために、一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、 必ず大会衆の数に入ることを獲。
蓮華蔵世界に至ることを得れば、 すなわち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊びて神通を現じ、 生死の園に入りて応化を示す、といえり。
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○曇鸞大師
本師、曇鸞は、梁の天子 常に鸞のところに向こうて菩薩と礼したてまつる。
三蔵流支、浄教を授けしかば、 仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。
天親菩薩の『論』、註解して、 報土の因果、誓願に顕す。
往・還の回向は他力に由る。 正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、 生死即涅槃なりと証知せしむ。
必ず無量光明土に至れば、 諸有の衆生、みなあまねく化すといえり。
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○道綽禅師
道綽、聖道の証しがたきことを決して、 ただ浄土の通入すべきことを明かす。
万善の自力、勤修を貶す。 円満の徳号、専称を勧む。
三不三信の誨、慇懃にして、 像末法滅、同じく悲引す。
一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、 安養界に至りて妙果を証せしむと、いえり。
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○善導大師
善導独り、仏の正意を明かせり。 定散と逆悪を矜哀して、
光明名号、因縁を顕す。 本願の大智海に開入すれば、
行者、正しく金剛心を受けしめ、 慶喜の一念相応して後、
韋提と等しく三忍を獲、 すなわち法性の常楽を証せしむ、といえり。
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○源信僧都
源信、広く一代の教を開きて、 ひとえに安養に帰して、一切を勧む。
専雑の執心、浅深を判じて、 報化二土、正しく弁立せり。
極重の悪人は、ただ仏を称すべし。 我また、かの摂取の中にあれども、
煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、
大悲倦きことなく、常に我を照らしたまう、といえり。
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<!–[if !supportLists]–>○ <!–[endif]–>源空上人(法然上人)
本師・源空は、仏教を明らかにして、 善悪の凡夫を憐愍せしむ。
真宗の教証、片州に興す。 選択本願、悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、 決するに疑情をもって所止とす。
速やかに寂静無為の楽に入ることは、 必ず信心をもって能入とす、といえり。
弘経の大士・宗師等、 無辺の極濁悪を拯済したまう。
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○結び
道俗時衆、共に同心に、 ただこの高僧の説を信ずべし、と。
六十行、すでに畢りぬ。一百二十句なり。
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正信偈はどのようにして広まったか
蓮如上人が一四七二(文明5)年、正信偈・和讃を四帖にして開版
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