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講義集2 親鸞における主体の問題 信心

Ⅱ 純粋行としての信心 第二講 一心の成り立つ背景 その1

信は機を成就する 別序によって信巻は信を問題にすることが主題であることを示す。 そして、別序は化身土巻までを言及している。 真実信心によって獲られる証は信証一体。「自性唯心」ではなく「浄土の真証」。公開された証り。 信の …

Ⅱ 純粋行としての信心 第一講 願を行ずる信 下

以下は抜粋とノート 願生偈は単なる詩歌ではなく、大無量寿経の四十八願全体を受けて、その意義を明らかにするという意義を持った偈である。大無量寿経の四十八願はどういう問題を明らかにしているのか、仏道においてどのような意義をも …

Ⅱ 純粋行としての信心 第一講 願を行ずる信 中

以下は抜粋とノート 法然は念仏を選択というが、それに対して親鸞は念仏を回向という。つまり法然の教学は選択、親鸞の教学は回向である。この親鸞の教学が何にもとづくのかというと、曇鸞が浄土論の回向を解釈して二種の回向の相を明ら …

Ⅱ 純粋行としての信心 第一講 願を行ずる信 上

以下は抜粋とノート 信巻に出てくる「如実修行相応」を「純粋行としての信心」といいなおした。 総序は教行信証全体を支配する意義をもっているが、その意義は総じては正信偈で終わっている。「遇い難くして今遇うことを得たり 聞き難 …