試訳 阿弥陀経

これは、長浜教区のH氏が、御門徒と共に法要を勤めることを主旨として、作製されたものである。
なお、原文は縦書きであり、レイアウトも工夫されているが、HTML処理の為に横書きに変更。
ルビも同様に削除させていただいた。また、ここでは「絵画」は掲載しない。
H氏の試みを称賛する共に、HPへの掲載を快く許して下さったご好意に、心から感謝申し上げる。

伽  陀 ――gatha――

○萬行之中為急要        万行の中に急要たり

迅速無過浄土門        迅速なること浄土門に過ぎたるはなし

不但本師金口説        ただ本師金口の説のみにあらず

十方諸仏共伝証        十方の諸仏に伝え証したまう

(法照禅師『五会法事讃』より)

 

 

仏説阿弥陀経

姚秦の三蔵法師鳩摩羅什、詔を奉りて訳す

 

無問自説経 ~孤独な人々の無言の問いに呼応した教え~〔スカーヴァティー・ヴューハ=極楽の荘厳〕
姚秦の時代、西域のトリピタカ〔三蔵〕鳩摩羅什、天子の命をうけて訳す

 

 

【序分】

かくのごとき、我聞きたまえき。一時、仏、舎衛国の祇樹給孤独園にましまして、大比丘衆千二百五十人と倶なりき。 みなこれ大阿羅漢なり。衆に知識せられたり。長老舎利弗・摩訶目揵連・摩訶迦葉・摩訶迦旃延・摩訶倶絺羅・離婆多・周利槃陀伽・難陀・阿難陀・羅睺羅・憍梵波提・賓頭盧頗羅堕・迦留陀夷・摩訶劫賓那・薄拘羅・阿楼■駄、かくのごときらのもろもろの大弟子、ならびにもろもろの菩薩摩訶薩、文殊師利法王子・阿逸多菩薩・乾陀訶提菩薩・常精進菩薩、かくのごときらのもろもろの大菩薩、および釈提桓因等の無量の諸天・大衆と倶なりき。

〔一切智者に帰命したてまつる〕

 

わたしが、ブッダからお聞きしたのは、このようなことです。

その時、釈尊はコーサラ国の首都シュラーヴァスティー〔舎衛国〕のジェータ林〔祇樹〕に開かれたアナータピンダダ園〔給孤独園〕に身をとどめておられました。仏弟子たち千二百五十人と一緒に生活しておられた時のことです。

かれらは、人々に名を知られた阿羅漢〔応供〕たちであった。

長老のシャーリプトラ〔舎利弗〕・マハー・マウドガリヤーヤナ〔摩訶目揵連〕・マハー・カーシヤパ〔摩訶迦葉〕・マハー・カッピナ〔摩訶劫賓那〕・マハー・カーティヤーヤナ〔摩訶迦旃延〕・マハー・カーシュティラ〔摩訶倶絺羅〕・レーヴァタ〔離婆多〕・チューダ・パンタカ〔周利槃陀伽〕・ナンダ〔難陀〕・アーナンダ〔阿難陀〕・ラーフラ〔羅睺羅〕・ガヴァーンパティ〔憍梵波提〕・バラヂヴァージャ〔賓頭盧頗羅堕〕・カーローダイン〔迦留陀夷〕・ヴァックラ〔薄拘羅〕・アニルッダ〔阿楼■駄〕。また、かれらの背景には、大乗仏教が見出した菩薩や大士たちがいます。

童子というべき位にあるマンジュシュリー〔文殊師利法王子〕・アジタ〔阿逸多菩薩〕・ガンダハスティン〔乾陀訶提菩薩〕・ニティヨーディユクタ〔常精進菩薩〕。
このような大菩薩たちの他にも、神々の王であるシャクラ〔釈提桓因〕や娑婆の主であるブラフマン〔梵天〕たちが一緒であった。

そして、彼らの背後には、世間に排除された孤独な人々が無言のままで釈尊を見つめています。

【正宗分】

〔無量寿仏の名告り〕

その時に、仏、長老舎利弗に告げたまわく、「これより西方に、十万億の仏土を過ぎて、世界あり、名づけて極楽と曰う。その土に仏まします、阿弥陀と号す。いま現にましまして法を説きたまう。

その時のことです。

突然、釈尊は長老のシャーリプトラ〔舎利弗〕に堰を切ったように語りかけられました。

シャーリプトラよ、この娑婆世界より西の彼方、すなわち、十万・千万の仏国土を過ぎゆきたところに一つの世界がある。この世界を名づけて「極楽」〔楽のあるところ=スカーヴァティー〕という。

その国土に仏がおられる。その仏は、「無量寿仏」〔アミターユス=無量の寿をもつ者〕と名告って、いま現に住し、とどまり、時を過ごして、法を説きつづけておられる。

 

〔なぜ「極楽」という名なのか〕

舎利弗、かの土を何のゆえぞ名づけて極楽とする。その国の衆生、もろもろの苦あることなし、但もろもろの楽を受く、かるがゆえに極楽と名づく。

シャーリプトラよ、これをどう思うか。

――かしこの仏国土は、なぜ「極楽」と名づけられるのか――

まことにシャーリプトラよ、

無量寿仏の国を生きるものは、どのような苦にさいなまれようとも、その苦に埋没することがない。ただ、安楽に生きる無量の原因のみがある。だから、「極楽」と名づけられるのである。

〔極楽浄土のすがた ~人々の歩みの姿~〕

また舎利弗、極楽国土には七重の欄楯・七重の羅網・七重の行樹あり。みなこれ四宝をもって、周帀し囲繞せり。このゆえにかの国を、名づけて極楽と曰う。また舎利弗、極楽国土には、七宝の池あり。八功徳水その中に充満せり。池の底にもっぱら金沙をもって地に布けり。四辺に階道あり、金・銀・瑠璃・玻瓈、合成せり。上に楼閣あり、また金・銀・瑠璃・玻瓈・硨磲・赤珠・碼碯をもってして、これを厳飾せり。池の中の蓮華、大きさ車輪のごとし。青き色には青き光、黄なる色には黄なる光、赤き色には赤き光、白き色には白き光あり。微妙香潔なり。舎利弗、極楽国土には、かくのごときの功徳荘厳を成就せり。

また、シャーリプトラよ、極楽世界には、七重に囲まれた石垣があり、七重におおう鈴のついた網かざりと、七重につらなるターラ樹の並木がある。これらはすべて金・銀・瑠璃・水晶の四つ宝でできている。それは国中の至るところにめぐりわたっていて、きらびやかで美しい。だから、かしこの仏国土は「極楽」と名づけられるのである。

次に、シャーリプトラよ、極楽世界には、七つの宝石、すなわち金・銀・瑠璃・水晶・赤真珠・碼碯・琥珀でできている蓮池がある。その池には、八つの特性ある水が充満し、金の砂によって敷きつめられている。これらの蓮池には、周囲の四方に、金・銀・瑠璃・玻瓈でできた階段がある。岸の上には楼閣があり、金・銀・瑠璃・玻瓈・硨磲・赤真珠・碼碯によって飾られており、楼閣を厳かに輝かせている。

また、これらの蓮池の中には、もろもろの蓮の華が生じている。その大きさは、あたかも車輪のようである。

青き色は青き光、黄なる色は黄なる光、赤き色は赤き光、白き色は白き光を種々にはなっている。その輝きは、それぞれ独自性を失うことなく、ほのかに妙なる香りをただよわせている。

実にシャーリプトラよ、ここで明らかに受け止めてほしい。

極楽世界は、このような宝や色で象徴される人々のさまざまな歩みが表現されているのである。

〔極楽浄土のすがた ~仏弟子の生活~〕

また舎利弗、かの仏国土には、常に天の楽を作す。黄金を地とす。昼夜六時に、天の曼陀羅華を雨る。その国の衆生、常に清旦をもって、おのおの衣裓をもって、もろもろの妙華を盛れて、他方の十万億の仏を供養したてまつる。すなわち食時をもって、本国に還り至りて、飯食し経行す。舎利弗、極楽国土には、かくのごときの功徳荘厳を成就せり。

次に、シャーリプトラよ、かしこの仏国土では、つねに天のもろもろの楽器が奏でられており、黄金を大地となしている。また、昼に三度・夜に三度、マンダーラヴァ〔曼陀羅華〕の花がふる。

かしこの国に生まれた人々は、静かな朝に、花で満たされた衣裓〔華をもる器〕を持って、他のもろもろの世界に自在に歩み出す。十万・千万の仏たちを礼拝し、一々の如来に十万・千万の花の雨をそそぐ。

そして、再び昼の休息のために、自らの国にかえって食事をとり、仏の言葉を憶念しながら静かにあたりを歩いて、身と心をととのえるのである。

実にシャーリプトラよ、極楽世界は、このような仏弟子たちの生活によって表現されているのである。

 

〔極楽浄土のすがた ~声の世界~〕
また次に、舎利弗、かの国には常に種種の奇妙雑色の鳥あり。白鵠・孔雀・鸚鵡・舎利・迦陵頻伽・共命の鳥なり。このもろもろの衆鳥、昼夜六時に和雅の音を出だす。その音、五根・五力・七菩提分・八聖道分、かくのごときらの法を演暢す。その土の衆生、この声を聞き已りて、みなことごとく仏を念じ、法を念じ、僧を念ず。

また次に、シャーリプトラよ、

かしこの仏国土には、つねに種々さまざまなユニークな鳥がいる。

ハクチョウ〔白鵠〕、クジャク、オウム、シャーリカ〔舎利=人間の言葉を暗誦する黒い鳥〕、カラヴィンカ〔迦陵頻伽=殻の中にいる時から美しく鳴く〕、共命鳥〔一身に両頭を有する人面鳥。一が死ぬと他も生命を共にする〕である。
これらの鳥たちは、昼に三度、夜に三度、集って合唱をなし、各々さえずる。これらの声は、どのような声であっても不協和音とならない。

また、それらの声はそのまま、五根〔煩悩をおさえてさとりへ向かわせるはたらき=信・精進・念・定・慧〕・五力〔五根によって悪を破る力〕・七菩提分〔さとりを得るための行法=念覚支・択法覚支・精進覚支・喜覚支・軽安覚支・定覚支・捨覚支〕・八聖道分〔さとりに至るための行法=正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定〕という教えの言葉となる。

かしこの仏国土に生きる人々は、その声を聞くことによって、ブッダ〔仏陀〕に対する思念が生じ、ダルマ〔法〕に対する思念が生じ、サンガ〔僧伽〕に対する思念が生ずる。

〔極楽浄土のすがた ~三悪道なき世界~〕

舎利弗、汝、この鳥は実にこれ罪報の所生なりと謂うことなかれ。 所以は何ん。かの仏国土には三悪趣なければなり。 舎利弗、その仏国土には、なお三悪道の名なし。何にいわんや実にこのもろもろの衆鳥あらんや。みなこれ阿弥陀仏、法音をして宣流せしめんと欲して、変化して作したまうところなり。

汝、シャーリプトラよ、この問いをどう思うか。

――この鳥たちは、極楽世界に生きているにもかかわらず、罪の報いによって畜生〔禽獣等として傍らに生きること〕という生をうけているのであろうか――

けして、そのようにみなしてはならない。
それはなぜであるか。

かしこの仏国土には地獄・畜生の名もなければ、ヤマ〔閻魔〕の世界〔=死者たちが裁かれる世界〕もないからである。まして、そのような自在性を失ったものがいるはずがない。

実にシャーリプトラよ、この鳥たちは、さまざまな境遇を生きるものに、阿弥陀仏〔アミターユス=無量寿仏〕が「いのち」とする誓願を、「声(法音)」として至り届けようと欲して変化させたことに他ならない。

しかしこの仏国土は、このような阿弥陀仏の願いによって表現されているのである。

 

〔極楽浄土の荘厳 ~音の世界~〕

舎利弗、かの仏国土には、微風、もろもろの宝の行樹および宝の羅網を吹き動かすに、微妙の音を出だす。たとえば百千種の楽の同時に倶に作すがごとし。この声を聞く者、みな自然に念仏・念法・念僧の心を生ず。舎利弗、その仏国土には、かくのごときの功徳荘厳を成就せり。

シャーリプトラよ、かしこの仏国土では、かのターラ樹の並木や鈴のついた網かざりが、微かな風に吹き動かされるとき、繊細でしなやかな妙なる音を奏でだす。それはちょうど、十万・千万種からなる天の楽器を聖者たちが合奏したときのように、多様性をもつのである。

この声は、世間の常識からは逸脱しており、常人の耳には届かない。しかし、闇の中でこの声を聞いたものは、誰もが自然に、ブッダ〔仏陀〕・ダルマ〔法〕・サンガ〔僧伽〕に対する隨念が身に起こるのである。

シャーリプトラよ、かしこの仏国土は、このような「声」の世界なのである。

〔なぜ「阿弥陀」という名なのか〕

舎利弗、汝が心において云何。かの仏を何のゆえぞ阿弥陀と号する。舎利弗、かの仏の光明、無量にして、十方の国を照らすに、障碍するところなし。このゆえに号して阿弥陀とす。また舎利弗、かの仏の寿命およびその人民も、無量無辺阿僧祇劫なり、かるがゆえに阿弥陀と名づく。

シャーリプトラよ、あなたの心において、これをどのようなこととして受け止めているか。

――かの仏は、どうして「阿弥陀」と名づけられるのか――

シャーリプトラよ、かの仏の教えは、いかなる宗教・思想・政治・経済・武力が支配する国であろうとも、そこに生きるものの光明〔智慧〕として輝き、どのような闇を抱えていようとも、その人の心に至り届く。このゆえに、「阿弥陀〔アミターバ=無量の光をもつ者〕」と名づけられるのである。

また、シャーリプトラよ、かの仏の魂、そして、その魂に呼応して生きた人々の姿は、けして人々の心から消え去ることがない。

その寿命は人智のおよぶところではなく〔無量無辺阿僧祇劫〕、どのような境遇を生きていようとも呼びかけられている。このゆえに、また「阿弥陀〔アミターユス=無量の寿命をもつ者〕」と名づけられるのである。

〔十劫成仏〕

舎利弗、阿弥陀仏、成仏より已来、いまに十劫なり。

シャーリプトラよ、阿弥陀仏が魂とする「誓願」をおこして以来、実に一〇カルパ〔十劫〕という、はるかなる時が刻まれているのである。

〔極楽浄土のすがた ~歩みの歴史~〕

また舎利弗、かの仏に無量無辺の声聞の弟子あり、みな阿羅漢なり。これ算数の能く知るところにあらず。もろもろの菩薩衆もまたまたかくのごとし。舎利弗、かの仏国土には、かくのごときの功徳荘厳を成就せり。

シャーリプトラよ、かの阿弥陀仏には、限りない数の弟子〔声聞〕たちがいて、みな最高のさとりを得たもの〔阿羅漢〕となっている。この弟子たちの量を述べることはできない。また、道を求めて歩んでいるものたち〔菩薩衆〕も同様である。

シャーリプトラよ、これによって知ることができるであろう。

阿弥陀仏の魂である「誓願」がおこされて以来、はなるかなる「時」をへているが、その「時」には、阿弥陀仏の魂に呼応した人々の歩みがあることを示している。すでに道はあるのです。わたしもその道を歩む一人なのです。

かしこの仏国土は、このような道を歩んだ人々の歩みそのものが表現されているのです。

〔倶会一処〕

また舎利弗、極楽国土の衆生と生まるる者は、みなこれ阿鞞跋致なり。その中に、多く一生補処あり、その数はなはだ多し。これ算数の能くこれを知るところにあらず。但、無量無辺阿僧祇劫をもって説くべし。舎利弗、衆生聞かん者、応当に願を発しかの国に生まれんと願ずべし。所以は何。かくのごときの諸上善人と倶に一処に会することを得ればなり。

シャーリプトラよ、かしこの極楽世界に生まれた人々は、どのような境遇に身をおこうとも、立ち帰る場所が定まっているがゆえに、迷いに振りまわされるということがない〔阿鞞跋致〕。

その中の多くのものは、この一生を極め終えた時には、必ず仏の用きを他者にもたらすものとなる〔一生補処〕。その数ははなはだ多く、「無量・無数」という以外に、言葉にすることはできないのである。

まことにシャーリプトラよ、かしこの仏国土に生まれたいという誓願をおこすべきである。

それはなぜであるか。

かしこにおいて、道を歩んだ無量・無数の「よき人々」とともに出遇う場を得ることができるからである。

〔顕彰隠密の義 ~一心の二重構造~〕

〔顕の義 ~難思往生のすすめ~〕

舎利弗、少善根福徳の因縁をもって、かの国に生まるることを得べからず。舎利弗、もし善男子・善女人ありて、阿弥陀仏を説くを聞きて、名号を執持すること、もしは一日、もしは二日、もしは三日、もしは四日、もしは五日、もしは六日、もしは七日、一心にして乱れざれば、その人、命終の時に臨みて、阿弥陀仏、もろもろの聖衆と、現じてその前にましまさん。この人、終わらん時、心顛倒せずして、すなわち阿弥陀仏の極楽国土に往生することを得ん。 舎利弗、我この利を見るがゆえに、この言を説く。もし衆生ありてこの説を聞かん者は、応当に願を発しかの国土に生ずべし。

しかし、シャーリプトラよ、生ける者たちは、少しばかりの善根によっては、かしこの仏国土に生まれることはできないのである。

シャーリプトラよ、もし大乗仏教を信奉するよき男子たち、よき女子たちが、かの阿弥陀仏の名を聞いて、その教えをたもち続けること、もしは一夜、もしは二夜、もしは三夜、もしは四夜、もしは五夜、もしは六夜、もしは七夜の間、散乱しない堅牢なる心をもって思念するのであれば、世と自己に執着する心が死滅する時に、かしこの阿弥陀仏は、もろもろの聖者たちにとりかこまれ、菩薩の集団に恭敬されて、その人の前に立たれるであろう。

そして、世と自己に執着する「いのち」尽きる時、この人の心は顛倒することはない。そのとき、時を隔てず、阿弥陀仏の仏国土に生まれ、その願いに生きるという生を獲得するのである。

シャーリプトラよ、わたしは、この道理を見るゆえに、この法門を説くのである。

この生を少しく真面目に生きようとするものは、一度は目覚めよ。

まさに阿弥陀仏の誓願に呼応して、はるかなる仏国土、そして、その道を歩んだ人々に思いをかけて、その世界を生きよ。

〔六方段 ~他の国土を生きる諸仏たちの証誠・護念~〕

〔東方世界〕

舎利弗、我がいま阿弥陀仏の不可思議の功徳を讃歎するがごとく、東方に、また、阿閦鞞仏・須弥相仏・大須弥仏・須弥光仏・妙音仏、かくのごときらの恒河沙数の諸仏ましまして、おのおのその国にして、広長の舌相を出だして、遍く三千大千世界に覆いて、誠実の言を説きたまう。汝等衆生、当にこの不可思議の功徳を称讃する一切諸仏に護念せらるる経を信ずべし。

シャーリプトラよ、わたしがいま、かの阿弥陀仏の不可思議の功徳を称讃するように――また、東方の世界においては、アクショービヤ(不動な者)、メール・ドヴァジャ(須弥山の幢をもつ者)、マハー・メール(大いなる須弥山)、メール・プラバーサ(須弥山の光輝をもつ者)、マンジュ・ドヴァジャ(妙なる幢をもつ者)と名づけられる如来がおられる。

シャーリプトラよ、この他方国土の如来たちをはじめ、東方におけるガンジス河の砂のごとき諸仏・世尊たちは、舌相〔ブッダ=覚者であることを示す三二相の一つ〕を尽して、各々の国土をあまねく覆って明言されている――『そなたたちは、この「不可思議な功徳の称讃、一切の仏たちの摂受〔護念〕」と名づける法門を信受せよ』と。

〔南方世界〕
舎利弗、南方の世界に、日月燈仏・名聞光仏・大焔肩仏・須弥燈仏・無量精進仏、かくのごときらの恒河沙数の諸仏ましまして、おのおのその国にして、広長の舌相を出だして、遍く三千大千世界に覆いて、誠実の言を説きたまう。汝等衆生、当にこの不可思議の功徳を称讃する一切諸仏に護念せらるる経を信ずべし。

シャーリプトラよ、南方の世界においては、チャンドラ・スーリヤ・プラディーパ(月と太陽の燈火をもつ者)、ヤシャハ・プラバ(名声ある光明をもつ者)、マハールチ・スカンダ(大いなる炎のかたまりをもの者)、メール・プラディーパ(須弥山の燈火をもつ者)、アナンタ・ヴィーリヤ(無限の精進をする者)と名づけられる如来がおられる。

シャーリプトラよ、この他方国土の如来たちをはじめ、南方におけるガンジス河の砂のごとき諸仏・世尊たちは、舌相〔ブッダ=覚者であることを示す三二相の一つ〕を尽して、各々の国土をあまねく覆って明言されている――『そなたたちは、この「不可思議な功徳の称讃、一切の仏たちの摂受〔護念〕」と名づける法門を信受せよ』と。

〔西方世界〕

舎利弗、西方の世界に、無量寿仏・無量相仏・無量幢仏・大光仏・大明仏・宝相仏、浄光仏、かくのごときらの恒河沙数の諸仏ましまして、おのおのその国にして、広長の舌相を出だして、遍く三千大千世界に覆いて、誠実の言を説きたまう。汝等衆生、当にこの不可思議の功徳を称讃する一切諸仏に護念せらるる経を信ずべし。

シャーリプトラよ、西方の世界においては、アミターユス(無量の寿命をもつ者)、アミタ・スカンダ(無量のかたまりをもつ者)、アミタ・ドヴァジャ(無量の幢をもつ者)、マハー・プラバ(大いなる光明をもつ者)、マハー・ラトナ・ケートゥ(大いなる宝石の旗をもつ者)、シュッダ・ラシュミ・プラバ(清浄な光線の光明をもつ者)と名づけられる如来がおられる。

シャーリプトラよ、この他方国土の如来たちをはじめ、西方におけるガンジス河の砂のごとき諸仏・世尊たちは、舌相〔ブッダ=覚者であることを示す三二相の一つ〕を尽して、各々の国土をあまねく覆って明言されている――『そなたたちは、この「不可思議な功徳の称讃、一切の仏たちの摂受〔護念〕」と名づける法門を信受せよ』と。

〔北方世界〕

舎利弗、北方の世界に、焔肩仏・最勝音仏・難沮仏・日生仏・網明仏、かくのごときらの恒河沙数の諸仏ましまして、おのおのその国にして、広長の舌相を出だして、遍く三千大千世界に覆いて、誠実の言を説きたまう。汝等衆生、当にこの不可思議の功徳を称讃する一切諸仏に護念せらるる経を信ずべし。

シャーリプトラよ、北方の世界においては、マハールチ・スカンダ(大いなる炎のかたまりをもつ者)、ヴァイシュヴァーナラ・ニルゴーシャ(普遍的な音声をもつ者)、ドゥシュプラダルシャ(攻撃しがたい者)、アーディティヤ・サンバヴァ(太陽から生じた者)、ジャーリニー・プラバ(網のような光明をもの者)、プラバーカラ(光明を放つ者)と名づけられる如来がおられる。

シャーリプトラよ、この他方国土の如来たちをはじめ、北方におけるガンジス河の砂のごとき諸仏・世尊たちは、舌相〔ブッダ=覚者であることを示す三二相の一つ〕を尽して、各々の国土をあまねく覆って明言されている――『そなたたちは、この「不可思議な功徳の称讃、一切の仏たちの摂受〔護念〕」と名づける法門を信受せよ』と。

〔下方世界〕

舎利弗、下方の世界に、師子仏・名聞仏・明光仏・達摩仏・法幢仏、持法仏、かくのごときらの恒河沙数の諸仏ましまして、おのおのその国にして、広長の舌相を出だして、遍く三千大千世界に覆いて、誠実の言を説きたまう。汝等衆生、当にこの不可思議の功徳を称讃する一切諸仏に護念せらるる経を信ずべし。
シャーリプトラよ、下方の世界においては、シンハ(獅子)、ヤシャス(名声ある者)、ヤシャハ・プラバーサ(名声ある光輝をもつ者)、ダルマ(法)、ダルマ・ダラ(法を持てる者)、ダルマ・ドヴァジャ(法の幢をもつ者)と名づけられる如来がおられる。

シャーリプトラよ、この他方国土の如来たちをはじめ、下方におけるガンジス河の砂のごとき諸仏・世尊たちは、舌相〔ブッダ=覚者であることを示す三二相の一つ〕を尽して、各々の国土をあまねく覆って明言されている――『そなたたちは、この「不可思議な功徳の称讃、一切の仏たちの摂受〔護念〕」と名づける法門を信受せよ』と。

〔上方世界〕
舎利弗、上方の世界に、梵音仏・宿王仏・香上仏・香光仏・大焔肩仏・雑色宝華厳身仏・娑羅樹王仏・宝華徳仏・見一切義仏・如須弥山仏、かくのごときらの恒河沙数の諸仏ましまして、おのおのその国にして、広長の舌相を出だして、遍く三千大千世界に覆いて、誠実の言を説きたまう。汝等衆生、当にこの不可思議の功徳を称讃する一切諸仏に護念せらるる経を信ずべし。
シャーリプトラよ、上方の世界においては、ブラフマ・ゴーシャ(梵天の音声をもつ者)、ナクシャトラ・ラージャ(星宿の王)、インドラ・ケートゥ・ドヴァジャ・ラージャ(インドラ神の旗や幢の王)、ガンドーッタマ(最上の香りをもつ者)、マハールチ・スカンダ(大いなる炎のかたまりをもつ者)、ラトナ・クスマ・サンプシュピタ・ダートラ(宝石の花に飾られた身体をもつ者)、サーレーンドラ・ラージャ(サーラ樹王の王)、ラトノートパラ・シュリー(宝石の青蓮華の美をもつ者)、サルヴァールタ・ダルシャ(一切の意義を見る者)、スメール・カルパ(須弥山のごとき者)と名づけられる如来がおられる。

シャーリプトラよ、この他方国土の如来たちをはじめ、上方におけるガンジス河の砂のごとき諸仏・世尊たちは、舌相〔ブッダ=覚者であることを示す三二相の一つ〕を尽して、各々の国土をあまねく覆って明言されている――『そなたたちは、この「不可思議な功徳の称讃、一切の仏たちの摂受〔護念〕」と名づける法門を信受せよ』と。

〔なぜこのような法門の名をもつのか〕

舎利弗、汝が意において云何。何のゆえぞ、名づけて、一切諸仏に護念せらるる経とする。舎利弗、し善男子・善女人ありて、この諸仏の所説の名および経の名を聞かん者、このもろもろの善男子・善女人、みな一切諸仏のために共に護念せられて、みな阿耨多羅三藐三菩提を退転せざることを得。

このゆえに舎利弗、汝等、みな当に我が語および諸仏の所説を信受すべし。

シャーリプトラよ、あなたの意において、これをどのようなこととして受け止めているか。

――どうして、この法門は『一切の仏たちの摂受〔護念〕』と名づけられるのか――

シャーリプトラよ、およそ、いかなる良家の男子たちや女子たちであっても、諸仏たちが説く阿弥陀仏の名、またこの法門の名を憶念するならば、かれらはすべて、一切の仏たちから願われ、呼びかけられていることに出遇うであろう。そして、無上なるさとり〔阿耨多羅三藐三菩提〕の道から退転しない生の基盤を獲得する人となるであろう。

だからこそ、シャーリプトラよ、汝ら、道が見出せず、ひざを抱えるものよ、わが仏説と、この道を歩んだ諸仏たちの生きざまを信受せよ。

〔釈尊の願い〕

舎利弗、もし人ありて、已に願を発し・今願を発し・当に願を発して、阿弥陀仏国に生まれんと欲わん者は、このもろもろの人等、みな阿耨多羅三藐三菩提を退転せざることを得て、かの国土において、もしは已に生じ・もしは今生じ・もしは当に生ぜん。このゆえに舎利弗、もろもろの善男子・善女人、もし信あらん者は、応当に願を発してかの国土に生ずべし。

シャーリプトラよ、

もし人あって、阿弥陀仏の仏国土に生まれようという誓願を、すでにおこし、あるいは現におこし、あるいはおこすであろう人は、誰もがみな無上なるさとり〔阿耨多羅三藐三菩提〕から退転せず、けして迷いに埋没することはない。そして、かしこの仏国土において、すでに生まれ、あるいは現に生まれ、あるいはまさに生まれる生をこの現在において獲得するのである。

このゆえにシャーリプトラよ、もろもろの大乗仏教を信奉する人々は、まさに諸仏の歩みに呼応して誓願をおこし、かしこの仏国土に生まれるべきである。

〔彰の義 ~「難」諸仏証護の正意~〕

舎利弗、我がいま諸仏の不可思議の功徳を称讃するごとく、かの諸仏等も、また、我が不可思議の功徳を称説して、この言を作さく、「釈迦牟尼仏、能く甚難希有の事を為して、能く娑婆の五濁悪世、劫濁・見濁・煩悩濁・衆生濁・命濁の中にして、阿耨多羅三藐三菩提を得て、もろもろの衆生のために、この一切世間に信じ難き法を説きたまう」と。

舎利弗、当に知るべし。我五濁悪世にして、この難事を行じて、阿耨多羅三藐三菩提を得て、一切世間のために、この難信の法を説く。これをはなはだ難しとす。」
シャーリプトラよ、わたしがいま、諸仏たちが歩んだその姿、「不可思議の功徳」を称讃するように、他方世界の諸仏たちも、また、わたしの歩む姿、「不可思議の功徳」を、次のように称説している。

『釈迦牟尼仏は、なしがたいことをなした。「娑婆」という五つの曖昧が遍満する悪世、すなわち、時代をみる曖昧〔劫濁〕・見解の曖昧〔見濁〕・煩悩とともに生きる曖昧〔煩悩濁〕・存在の曖昧〔衆生濁〕・いのちを尽すことの曖昧〔命濁〕のただ中において、無上なるさとり〔阿耨多羅三藐三菩提〕を開き、しかもそこに止まることなく、もろもろの苦にさいなまれる人々のために、一切の世間の常識においては信じがたい法門を説かれた』と。

シャーリプトラよ、このことは必ず心の底にとどめておいてほしい。わたしは、五つの曖昧が遍満するこの悪世において、無上なるさとり〔阿耨多羅三藐三菩提〕を開いて、一切の世を生きる人のために、この難信の法門を説いた。この「難」の一言を心に刻んでこの法門を聞き止め、そして、自ら歩みだしてほしい。

【流通分】

仏、この経を説きたまうことを已りて、舎利弗およびもろもろの比丘、一切世間の天・人・阿修羅等、仏の所説を聞きたまえて、歓喜し、信受して、礼を作して去りにき。

仏説阿弥陀経

ブッダは、このように、この法門を説かれた。

長老シャーリプトラをはじめ、もろもろの仏弟子たち、一切の世間の神々、仏教を守護する八部衆の阿修羅たち、そして、釈尊をとりまいていたジェータ林の人々は、ブッダの説かれた仏説を聞いて、歓喜し、信受して、礼をなして、それぞれが生きる場に去っていった。

無問自説経