蓮如上人讃仰
蓮如上人讃仰 ー上人に出遇ってー
ラジオ放送「東本願寺の時間」に放送されました住職の法話を掲載いたします。
第一回
おはようございます。蓮如上人500回御遠忌が近づいてきました。海外をはじめ、全国各地から大勢のご門徒がお参りになり、両堂がいっぱいになる様子が目に浮かんできます。
そのように想像しますと、親鸞聖人700回御遠忌のとき、蓬茨祖運先生から教えられたことが思い出されます。
私は法要の期間、全国各地より団体列車でお参りになる御門徒を迎えに行き、車中で伝道をする仕事を受け持っていました。
実際、やってみると大変でした。列車の中には休んでいる人、食事をとっている人、洗面に立つ人、いろいろで伝道どころではありません。私は先生に状況を説明し、そのようなとき、何を話したらよいかをたずねました。
先生は答えを求めるより、問いを大切に受けて下さる方でしたので、これは方向違いなことをたずねたと思いましたが、それに反して先生は御親切に教えて下さいました。
「今度の御遠忌は親鸞聖人がご主人、その親鸞聖人に何をお土産にもってこられたかをたずねなさい。親戚の家を訪問するときお土産をもっていくでしょう。それだったら、はるばるお会い来た親鸞聖人に何をお土産にもって来たでしょうか、それを聞いて、まだならすぐ用意するようにいったらよいです。帰りは親鸞聖人から、またお土産をいただいて、家へ帰りみんなと味わってほしいです。お土産はもちろん、お念仏です。南无阿弥陀仏です。」
それが先生が教えて下ったことでした。当時、そのようなことを考えても見なかった私には驚きであり、先生、人のことではなく私にいわれたのだと気づいたこと、今でも忘れることができません。
お念仏のことで今ひとつ身につまされる思いをしたことがあります。
本山の同朋会館へ二泊三日の研修に来た、一人の壮年の方が、「自分が上山したのは、家のじいさんが、南无阿弥陀仏と念仏を申しながら働いています。その南无阿弥陀仏にどんないわれがあるかを聞きたくて上山しましたが、難しい話ばかりで分かくなりました。このまま帰ると上山した意味がなくなります。何とか分かって帰りたいです。」と感話をするとみんなが拍手で答えました。講義を担当していた私は、この感話は身に浸み、今でも頭が下がる思いでいます。
そのようなことがご縁となって、私には「南無阿弥陀仏」のいわれを共に聞き明らかにしていくことが聴聞の要である、どんな話でしょうと、この要を忘れてならないと自分自身に言い聞かせています。
恐らく、今日「なむあみだぶつ」の六字を知らない人はいないでしょう。しかし、あの親鸞聖人が、関東から十余ヶ国の境を越えて、命がけでたずねてきたお弟子たちに、事情はいろいろありましょうが、結局は「往生極楽の道を問い聞かんがために来たのでしょう」と、生涯をかけて人間として問うべき課題を明確にし、その浄土に往生する道は、「ただ念仏して弥陀に助けられまいらすべしと、よき人の仰せをかぶりて信ずるほかに別の子細なきなり」と、答えられた、その念仏にかなっているかどうかを厳しく問うことの大切さを感じます。
また、蓮如上人が御文の中で、雪の中、悪天候をおして遠路はるばる吉崎へ来た人々に、どれほど苦労して参詣しましょうとも、「面々の心中いかがと、こころもとなくそうろう」と参詣者の心を確認されねばならなかったのも、あまりにも自分の思いで念仏を理解して、親鸞聖人がご生涯をかけて明らかにされた教えと遠ざかっている現実があったからでしょう。それは、そのまま、今日の私たちの問題でもあります。蓮如上人の御遠忌を迎えるとき、その一点を大切な課題として、南无阿弥陀仏のいわれを聞くことの大切さを感じます。
第二回
おはようございます。先回は親鸞聖人が明らかにされた念仏を、正しく受けとめているのかどうかを問うてみることが、蓮如上人五〇〇回御遠忌法要を迎える大切な心であると述べました。
思えば、南无阿弥陀仏のいわれを聞き阿弥陀を念じて生きる、そこに真実に会い、仏のさとりの世界、如来の本願の世界をいただくことができます。そして、生きる喜びを得て怖れのない自信ある生活が与えられますと、大無量寿経をもって、私たちに教えて下さったのが仏陀釈尊であります。
しかし、この南无阿弥陀仏のいわれが、仏陀が説かれた仏意にかなったように伝えられたわけではありません。念仏に対して誤解の多い歴史でありました。それは今日も同じであります。
そのような歴史の中で、善導大師や、法然上人や、親鸞聖人が明らかにして下さった念仏の教えに帰りましょうと、真実の教えを再興されたのが蓮如上人であります。
それでは、どのような一点に立って真宗を再興されたのでしょうか。
蓮如上人御一代聞書を見ますと、親鸞聖人が亡くなられた後、蓮如上人まで歴代の上人は「弥陀をたのめ、弥陀をたのめ」といってられるが「どのようにしてたのめ」と詳しくいってられませんので、蓮如上人は「雑行を捨てて、一心に弥陀をたのめ」と教えられたから真宗を再興された上人というのであると述べてあります。つまり雑行がはっきりしませんと、弥陀をたのむことが不明瞭になると教えられているのです。
雑行とは、念仏申す以外の諸行を雑行といわれるのですが、そうなると今日ではどこか私たちの生活を離れた宗教的な世界のことでないかと思いがちになります。そうでなく、私たちの生活行為全体を指して雑行と問題にしていると思われます。そこに立ってみると「雑行を捨てる」ということで、私たちの生活全体を今一度ふりかえってみよと問われているのでありましょう。
私たちは合理的な考え方をもとにして、限りない欲望を満たす天上界を求め、そこに生きる喜びがあると信じて生活を立ててきたのではないでしょうか。しかし、現実は確かに豊かな社会を作ったでしょうが、自分の足下が三悪道、地獄・餓鬼・畜生になっていないでしょうか。
地獄は言葉をかけ合うことを失い、心と心が通じ合わない孤独の世界です。特に今日、家の崩壊にともない老いた者、病に伏した者など、孤独の悲しみの声が聞こえてきます。
餓鬼の世界は、手に入れても手に入れても満足感を覚えることができない、欲求不満の世界です。今日の私たちの姿が言い当てられています。
畜生界は、人間の一番大切なものを失わせていく世界です。それは、いのちの平等性と尊厳性を見失っていく世界で、そのあらわれが、戦争、殺人、自殺、いじめ、差別医療など種々なすがたをとっています。
これら三悪道は人間の分別、思いが元になって構築された世界なので、雑行なのであります。
親鸞聖人が「雑行を捨てて、本願に帰す」といわれ、蓮如上人が「雑行雑修の自力の心をふり捨て、一心に弥陀をたのめ」といって下さるのも、その時代社会の現実を凝視し、そこに感ずる人間業の悲しみがあったからでしょう。
そして、飽くことを知らない欲望を満たす天上界を求めるのではなく、いのちあるものみんなが響きあういのちの世界。浄土を求める人間になっていこうと「雑行を捨てて、一心に弥陀をたのめ」念仏を明らかにされ真宗を再興して下さったのです。その意味で、真宗再興は人間再興なのです。念仏のはたらきによって私は人となるのです。
第三回
おはようございます。先回は蓮如上人が真宗を再興されたのは人間を復興して下さったのであると申しました。では、どのような人間を再興して下さったのか問題になります。
以前、東本願寺から出版された随想集に、司馬遼太郎さんが示唆に富んだ文章を寄せられています。
司馬さんが中学二年の頃、国語の先生が平家物語にある凡夫についてその意味をたずねられました。司馬さんは「つまらぬ人」と答えますと、先生は「その通りや」とうなずかれました。さらに「ところで凡夫とはだれのことや」とたずねられました。司馬さんは心の中で、少し不良化している級友、成績が悪くて落第した子かと思いましたが、それをいうと悪いと思って「知りません」と答えました。すると先生は「凡夫とはつまり我々のことや」といわれたのでみんなびっくりしました。先生は言葉を続けて、「ところで、日本史の歴史の中でだれが最初に凡夫であるとさとられたか」と質問をされたが分かりませんでした。先生は「その人が、日本の歴史の中で、最も偉大な発見をした人や」「それは法然上人と親鸞聖人や」といわれました。自分が凡夫だと知ることが、それほど偉大なことなのか、中学二年の私たちには分かりませんでした。
先生は「今は無理かもしれんが、大人になったときもう一度今のことを思い出して考えてごらん。もし大人になっても分からんかったら、その人は一生不幸な人や」といわれました。そして「凡夫のもっている深い意味が、今の私には分からない。しかし、このことを明らかにするのが一生の仕事かもしれない。」と書かれています。凡夫としての自分に会う、それが司馬遼太郎さんの永遠のテーマであったのでしょうか、考えさせられます。
ところが私たちは何も考えず、自分のことを「凡夫ですから」と簡単にいいます。しかも、その時は、自分の失敗したことなどの言い訳に使っていることが多いのです。
凡夫とは、仏が私たちの姿を言い当てて下さった言葉なのです。
観無量寿経で、父と子の争いの中で、母として苦悩した韋提希に向かって、釈尊は「汝はこれ凡夫なり。心想羸劣にして未だ天眼を得ず、遠く観ることあたわず。」といっておられます。「心想羸劣」とは世間の波に流されて、ときには良い心を起こすこともありますが、それもいつの間にか消えていき、ことを成就できない弱い存在であり、また「天眼を得ず」とは、自分中心の見方から離れることができないで、本当のことが見えない生き方をする存在、それを凡夫といっておられるのです。
親鸞聖人は、それを生活の中で確かめ、「凡夫というは、無明煩悩われらがみにみちみて、欲もおおく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおおく、ひまなくして臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえず」といっておられます。
私はこの言葉の中に「煩悩を断じて仏のさとを得ようと歩んできましたが、そこに見いだされた自分は、煩悩にまみれて生きる者であり、生きること、全体を貫いて強烈な自己主張と、自我関心が動いている自分でありました。」と我が身への痛み、悲しみ、慚愧、そして本当の自分に会えた、うなづきを感じます。
そして「汝はこれ凡夫」なりと呼びかけ、その凡夫に開かれる念仏道 ー往生浄土の道ー を開いて下さった仏陀の恩徳に南无阿弥陀仏と応えて歩かれた親鸞聖人が偲ばれます。
蓮如上人もまた、「我が身のあさましきつみふかきこと」とか「悪業煩悩の身なり」とか「我らがごときあさましき一生造悪の罪深き身」とかの言葉をもって、本願の機を御文にくり返し教えられます。司馬さんが、「大人になっても凡夫であることが分からんかったら、その人は一生不幸や」と問題をもたれたことを、一人一人たずねたいものです。
第四回
おはようございます。先回は仏陀が我々を凡夫と呼びかけ、凡夫に開かれた仏道をお説き下さった、それが浄土真宗であると述べました。
法然上人は釈尊の「汝は是凡夫」との呼びかけに呼応して「浄土宗のひとは愚者になって往生す」といっておられるものと思います。
そこには、愚に帰るといういう一点に仏道の学びを凝集されておられるのでしょう。あの承元の法難、権力者より弾圧を受け流罪になった悲しみも、怒りも、また生身をもって生きる人生の中で味わう人間としての喜びも、はかなさも、すべて愚かになるという一点に凝集されたのです。
「人間一番正直な姿は愚かということではないか。知恵のかけらも誇ってはならない。愚かという裸の自己に帰っていくこと。ここへ帰れば頭がいいとか、悪いとか、善人であるとかないとか、そういう人間の違いは全く超えられて、共に人間だという平等の世界が開かれるのではないか」として指摘している人があります。事実、法然上人の下には、いろいろな人が集まり、それらの人と親しく語り合っていられるのは、愚という確かな人生の事実に立っておいでになったからでしょう。
だれ一人として同じ道を歩いてきたものはありません。したがって考え方も、ものの見方も同じではありません。その意味ではみなバラバラなる者でありましょう。そのバラバラなる者が、バラバラで終わるのではなく、それぞれの差異を認めあって響きあう一つのいのちに生きたい。それが人間の願いなのでしょう。その願いがどこで開かれるのでしょうか。それは自らを愚となるという一点に生活を凝集する歩みの中で成就されるのだと、法然上人が身をもって教えて下さっているのではないでしょうか。
ところで、今日は人間の愚かさを忘れて、少しでも人より賢くなろうと生活を凝集しているようです。出世第一主義、学歴第一主義、何事も人より上に立とうとするところに生活を凝集しています。その結果、現実はバラバラ、人間の孤立化、差別、種々な問題が起きています。人間はいつの間にか大切な心を失いました。
先日富山県の小矢部で発掘された、桜町縄文遺跡についてのシンポジウムがありました。その折り、俳優の苅谷俊介氏が「縄文人は心を暖かくするために、知恵を働かせた。しかし現代人は唯物志向となり、地球をダメにした。人間には知恵と心があり、どちらを大切にするかで未来が決まる。しかし、その担い手である子供の目は、私が訪れた南太平洋ではキラキラと輝いていた。が、日本ではテレビゲームに熱中してドロンとしている。このことは、私たち日本人が大切なものを切り捨てて失ってきたからではないか、と考えさせられる。」と、縄文遺跡より発掘されるものを見ながら語ったと聞きました。
確かに縄文人は古代人で文化が発達していなく、自分たちがすぐれていると思っているのが私たちでしょう。それでは今日作ってきた文化とは何かと考えると、いのちあるものへのいたわりとか優しさを失わせていく、人間中心の文化といえないでしょうか。
親鸞聖人は、生涯この言葉を大切にして、それはどこからくるのかとたずね、その源泉こそ弥陀の本願への帰依であると見抜き、「雑行を捨てて本願に帰す」と、信念を表白されました。そして、生活の営みを本願に生きていくという一点に凝集されたのです。
また蓮如上人は御文に、「八万の法蔵を知るというとも後世を知らざる人を愚者とす」との言葉をもって、その心を受けとめ念仏の内実を教えて下さっていたのであります。
ここで蓮如上人の御文を拝読し、念仏のこころを憶念させていただきます。
[四帖目第十一通]
南無阿弥陀仏と申すは、いかなる心にて候うや。しかれば、何と弥陀をたのみて、報土往生をばとぐべく候うやらん。これを心得べきようは、まず「南無阿弥陀仏」の六字のすがたをよくよく心得わけて、弥陀をばたのむべし。そもそも、南無阿弥陀仏の体は、すなわちわれら衆生の、後生たすけたまえとたのみもうすこころなり。すなわちたのむ衆生を、阿弥陀如来のよくしろしめして、すでに無上大利の功徳をあたえましますなり。これを衆生に回向したまえるといえるはこのこころなり。されば弥陀をたのむ機を阿弥陀仏のたすけたまう法なるがゆえに、これを機法一体の南無阿弥陀仏といえるはこのこころなり。これすなわちわれらが往生のさだまりたる、他力の信心なりとは、こころうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。
明応6年5月25日書之訖 八十三歳
まもなく蓮如上人五〇〇回御遠忌です。私は今、南无阿弥陀仏をお土産にもって御同朋御同行と共にお参りしたいと準備をしています。