私、流星はこのように思います。

いわゆる「運動」といいますか、行動することを嫌い、
宗教は心の救いを説くものだという論調があります。
行動は縁が催すものですから、縁がなければ動く事はありません。
縁があれば動く。縁を左右する事はできません。
だから、行動を強制することは人にできるものではありません。
同じように「動いてはいけない」というのも、強制できないことです。
本当の救いを求め続けるのが宗教です。
それを行動しつつ求めることを否定することはできないと思うのです。
実際のところ、行動と心、身と心を切り離すことなんて、できはしないのですから。
私のはからいを越えて、さまざまな業縁がわたしにふりかかってきます。
いっしょうけんめい計らいながら、業報に喘ぎつつ、生き続けようと思っています。

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