念仏者は無碍の一道なり

こういうのを「年寄りの冷や水」というのでしょうか?
ここのところのハードスケジュールで風邪を引いてしまい、しかしながら寝込むわけにも行かず、申し訳ない喉の状態で葬儀、法事、月参りをしております。
しかも、来月の報恩講に間に合わせるために「玉永寺通信」を一刻も早く作成し、発送しなければならないということで、朦朧としながら、もう、たいへんなことに、老体に鞭打ってます。つらい。。。
明後日の共学研修会も、葬儀が入って出席できません。
さて、そんなおおわらわのうちに今日は午後から組同朋会、テキスト「宗祖親鸞聖人」第八章 大悲に生きるの最終項、「無碍の一道」です。
歎異抄第七章ということで、事前に↓をなんどか読みました。

若い頃ならば、高らかに念仏者は何事にも動揺することなく、一途な道を歩むのだと論じたことでしょうが、それなりに苦くて悲しい経験、挫折を重ねてきたことをお話しすることになると思います。

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