推進員養成講座 終了
地域の寺院を巡回しての5回の講座を終え、二泊三日、44名の方々を引率して上山研修してきました。講師の今泉温資先生のお話がわかりやすかったおかげでしょう、驚いたことに受講者の全員が上山してくださいました。玉永寺からは8名(内、40代の男性が2名、50代の女性が4名)が最後まで出席しました。
このことについてはウレシイのですが、どうもすっきりしていません。それは、あるスタッフと考え方が合わないというのがはっきりしてきたからなんです。
同朋会運動にしてもハンセン病問題を課題とした運動でも、このごろ他のスタッフと波長が合わないことを悩んでいます。おなじ目的を持ちながらも、そのやりかたに隔たりがあるのです。そしてその根底には利害関係、勢力争い、自己顕示欲といったものが絡んでいて、自分のなかにもそれらがあることを自覚します。こういうのを派閥意識とかセクト争いとか言うんだなと。こう、出口なし、みたいな、閉塞感。
あおさんが書いています。、「我というのはつながりの中にある私(関係的存在としての我)このとであり、関係といっても自分にとって都合のいい関係ではなく、自分の過去すべてだということを考えさせられました。もうひとつ、普通自分が楽をしたい、楽しみたいというときにはその裏では自分に親しいものが苦労をするのが私たちの生き方であり、宗祖というのはみんなが楽しく生きる世界を求められたそういう方だということをあらためて教えていただきました。」
自分がなにかを押し通せば、それによって引かざるを得ない人が出てくる。それは変えようのない現実。「あわれ、生きものは、互いに食みあう」ということを課題とされたのがブッダですよね。でも、その答えというか解決法は見つかったんでしょうか?
帰りのバスで寝すぎました。「バラバラでいっしょ −差異を認める世界の発見ー」前の御遠忌テーマですが、そんな世界なんてどこにあるんだろう? 眠れません
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